不公正な世界政治秩序変革を
朝鮮国際政治問題研究所論評員 
−2016年4月1日−

 朝鮮中央通信によると、朝鮮国際政治問題研究所の論評員は、「不公正な世界政治秩序を変革するための正義の炎を上げよう」と題する全文次のような記事を発表した。


 人類は科学技術の飛躍的な発展によって高度の物質文明を享受し、宇宙にまで自分の生活の領域を拡大していく時代に暮らしている。

 しかし、歴史の発展を導くべき世界の政界の現実は、それとは正反対に、救いがたい退歩と堕落の迷宮へと転落しており、これは、現代社会が直面した最も重大で深刻な問題である。

 こんにちの、世界政治の舞台は、正義と真理、良心と信義、平等と尊重が次第になくなって、不正義と強権、覇権と専横、侵略と支配がはびこり、人類が合意して定めた国際関係の最も初歩的な原理、原則まで無視される強大国中心の暴力が横行する場に変わった。

 米国を首魁とする横暴な帝国主義勢力は、弱小国の自主権と生存権を公然と蹂躙し、露骨な支配と干渉に明け暮れている。

 「世界の警察官」ぶって他国の内政に干渉し、自分の意思を押し付ける一方、自分らがすることは他国がしてはならないという強盗の論理を前面にかかげ、主権国家の合法的な権利と正当な自主権行使まで問題視している。

 国連をはじめ、国際舞台でわが物顔に振る舞う「特権」勢力は、大多数の発展途上国の自主的な要求と利益を乱暴に踏みにじっており、すべての問題を自分らの好みに合わせて一方的に処理している。

 これに反旗を翻して立ち向かったり、気に障る国は、例外なく「不良国家」「ごろつき国家」「悪魔の国」と罵倒し、その国の生存権まで無残に踏みにじっている。各方面から政治・経済的制裁と圧力を加えるばかりか、白昼に国家指導者を暗殺したり、内戦を起こし、それを口実に侵略武力を送り込んで政権を崩壊させるというような強盗行為もためらわない。

 米軍のキャタピラーに凄惨に踏みにじられたユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリアの惨状がまさに、その代表的な実例である。21世紀に入っても「カラー革命」や「対テロ戦」「アラブの春」など、あれこれ看板がかわり、世界の至る所で相次いで起きた数百件の各種の紛争と衝突事件の背後には、いつも米国とその追従勢力の陰険な魔の手が伸びていたというのは秘密ではない。

 自分らに服従するか、さもなければ死ぬべきであるというのが、米国をはじめ、強大国が唱える政治倫理であり、弱小国に強いる生存方式である。

 彼らの強権と専横は、全人類を対象にした無差別的な人権蹂躙行為にさらにはっきりとあらわれている。

 民主主義と人権を「守る」という美名のもと、他国に退廃的で反動的な自分らの思想と文化を強圧的に広める一方、親米的な反政府団体を庇護し、政権転覆へと彼らを積極的に唆しており、覇権維持に妨害になると思われるすべての対象にたいする不法な監視と盗聴、逮捕、拷問、テロ、虐殺などの反人倫的犯罪をはばかることなくおこなっている。

 代表的に、米国が20世紀の60年代と70年代に各国の著名な政治家、政府要人を対象におこなった暗殺テロ作戦は実に900余件にもなり、反米的な国のある首班は米中央情報局(CIA)から600余回にわたって爆発物設置、飲食物による毒殺などあらゆる暗殺の危機に瀕したという。90年代には約50の国が内乱の風波に巻き込まれ、これにより犠牲になった民間人の数は400万人に達するという。

 このように、極少数の強大国が、絶対多数の弱小国が流した血と涙、貴い犠牲の代価として無限大の「発展」と「繁栄」を追求しているのがこんにちの国際政治の現実である。

 最近、わが共和国を取り巻き、激突する情勢の流れは極めて不公正で、日を追って堕落していく世界政治の縮図であり、最も明白な証明となる。

 いま、米国とその追従勢力は、我々を国際社会で許しがたい存在、「悪の根源」であると描写し、史上類例のない経済制裁と軍事的圧力を加えている。

 最近は、我々の小型化された水爆の保有宣言と自衛的な軍事的措置について世界の平和と安全にたいする「深刻な脅威」や「挑発」であると罵倒し、「政権交代」と「体制崩壊」を露骨に騒いで膨大な核攻撃手段と特殊戦兵力まで総動員している。

 我々は、世界の正義と良心に問う。

 それで、我々の自主権と生存権を強奪しようと世紀と年代を越えておこなう米国の横暴は「正義」であり、これに立ち向かって自分の思想と制度、尊厳を守ろうとするわが人民の努力は「挑発」になるというのか。

 米国が我々を狙っておこなうミサイル発射は「平和」と「安全」のための「正当な」行動であり、それに対応した我々の軍隊と人民の自衛的なミサイル発射は地域の平和と安全にたいする「挑戦」であるのか。

 殺人的な核兵器を最初につくりだして人類を対象にそれをためらわず使用したし、それにたいする絶え間ない更新と莫大な量の保有で世界を安定と平和を知らない恐怖の戦場に転落させた元凶、多くの弱小民族と罪のない人民を残酷な死へと追いやった張本人は果たして誰であるというのか。

 敵対勢力がそれほど問題視する我々の核保有について言うなら、それは数十年間、我々を核で威嚇、恐喝し、あらゆる制裁と圧力を加えてきた米国の侵略に立ち向かって我々の自主権と尊厳、生存権を守るための正当な自衛的選択である。

 これまで、わが共和国を世界最強の核保有国に後押しした張本人は、ほかならぬ米国である。

 言いかえれば、我々の急速な核能力高度化を実現させてきた「動力」は、ほかならぬ米国の悪辣な対朝鮮圧殺政策である。

 ならば、挑発者は誰であろうか。

 それでも、あえて我々を「挑発者」、我々の偉業を「挑戦」と罵倒しなければならないのか。

 米国とその追従勢力が、我々のチュチェ衛星の打ち上げを「弾道ミサイルの試射」だの、「国連決議違反」だの何のと言いがかりをつけるのは、なおさら理にかなわない。

 我々の運搬ロケットをあれほど悪質に問題視するが、果たして米国は人工衛星を運搬ロケットで打ち上げずに息で吹き上げたのか、もしくは手で投げたのか。

 明らかに、米国はもちろん、多くの国の衛星も運搬ロケットに乗せられて宇宙に打ち上げられるのに、唯一、我々の運搬ロケットだけが世界の平和と安全に脅威を与えるというのは強弁であり、強盗の詭弁に違いない。

 もし、我々の自主的意志と努力を脅威に感じるなら、それは自分らが構築した不公正な政治秩序が揺らぐことにたいする不安と懸念だけであろう。

 この惑星で最も明白に正義を代表して自主権を守るため屈することなくたたかってきた我々が、いまや、あらゆる侵略と悪の群れを圧倒し、懲罰できる限りなく強大な力を備えることになったのを我々の敵はよく知っており、彼らが吹く「挑発」だの「挑戦」だののほらは不安と恐怖の悲鳴にすぎない。

 問題は、体面と名分をそんなにも重視するという一部の大国さえも米国の卑劣な強迫と要求に屈従し、さらには三文の値打ちもない親米娼婦の悪習放つスカート風に相づちを打つ想像外の恥ずべき事態が公然と起きていることである。

 血で得た共同の獲得物である貴重な友誼関係もためらわずに投げ捨て、この国、あの国と密室で結託してでっち上げた、いわゆる結果物で正義と真理を抑え付けようとする惨たんたる現実の前で、我々は世界政治の虚像と真実を改めて明白に見抜くことになる。

 声が大きいからといって正義なのではない。

 米国が「あ」と言えば、大小国がこぞって「あ」と続くので仮に響きは大きくなり得るが、それが人類の正義と真理を代弁することには決してなり得ない。

 声がいくら大きくてもオオカミの鳴き声が他のものに聞こえようか。

 いま、世界政治の構図は米国の指揮棒の下、幾つかの強大国が会して自国の利害得失によって陰謀を企てて結託したり、互いに排斥する混濁の賭場に完全に変質している。

 20世紀の90年代初めの冷戦終息直後、ブッシュ米大統領は議会演説で「長い間望まれた新世界秩序を樹立するための機会」が訪れたとし、「新世界秩序とは、冷戦の危険がなく、米図式市場と民主主義が繁盛する世界秩序」であると騒いだ。

 これは事実上、東西対決の構図によって両極に分かれた世界を米国の勢力圏内に置いた一つの世界、地球上に米国式民主主義、米国式市場経済だけが存在する米国支配の一極世界にする機会が訪れたという新たな侵略宣言であった。

 この時から米国は、決心さえすれば地球上のどの国も攻撃できるし、どんな犯罪行為を働いても処罰されない極度に傲慢な「帝国の中の帝国」、世界を自分の意のままに支配、統制する「アメリカの特殊国家」になった。保守主義者として有名なある西側人士は、米国をテーマにした図書「ならずもの国家」で、米国的価値に同調する国家は友邦、反対する国家は敵であると規定する「道徳的優位主義」、口では国際法と規範の遵守を叫びながらも実際は自国の価値と国益にもとづいて一方的に行動する「覇権的一方主義」、国際社会の安定の基礎である主権概念を無視して潜在的に脅威となる国家にたいしては先制攻撃によって脅威の根源を除去すべきであるという「攻勢的現実主義」が米国の政治理念であり、世界を支配する道具であると辛辣に明らかにし、断罪した。

 米国は、自分らの侵略的で覇権的な正体を覆い隠すために国連を世界政治の前面に押し立て、名目上は国連安全保障理事会常任理事国の座を占めている5カ国が地球の至る所で起きている大小のすべての問題を討議、決定、執行、監督すると言っている。

 しかし、突き詰めてみれば、これ自体が荒唐無稽で極めて不正常である。

 国連設立当時には、複雑な国際政治環境を反映して国際平和と安全維持にたいする責任を負うよう国連安保理が発足したし、5カ国が常任理事国に選出されて国際政治の問題にたいする調停と協議をおkない、決定も採択した。

 その後、数十年間持続した東西冷戦時代には、彼らが自分が属した陣営の国と民族の政治理念と利益を代表し、互いにたいする牽制と力の均衡の維持のためにある程度努力したとみることができる。ある政治評論家が、東西冷戦時代を数百年の近現代史で最も「平和な時代」であったと評したのは偶然ではない。

 しかし、冷戦が終息して国家間の理念的対立と対決が大きく表面化せず、各国が自国式の発展進路を模索しているこんにちになって、国連安保理常任理事国の勢力関係や役割には根本的な変化が起きるようになった。

 率直に言うと、強大国を自任する5カ国が国連という国際政治の舞台でこれ以上他国を代表する資格や権利をもっているのかということである。

 誰も彼らに自国にかわって何かを解決したり、決定してほしいと請託していないし、また、彼らにはそのような能力もない。

 幾つかの大国が他国の具体的な実情を知るわけもなく、自分らの好みに合わせて押し立てる一方的な基準が他国にそのまま通じないし、自分たち同士の政治的謀議で導き出される結論が誰それの利益を代弁するはずがない。

 そのうえ、彼らのなかで傲慢無礼にも世界の指導的役割を自任する米国に向かって正論を言い、自分の主張を立てて堂々と立ち向かう国が果たして存在するのか。

 正気で強い自尊心と信念をもった国なら、このような一方的で覇権的な国際秩序とそのなかから出てくる不当な主張をそのまま受け入れられないであろう。

 こんにち、自分自身の核保有は正当で弱小国の核保有は過ちであるという荒唐無稽な二重基準をかかげ、我々を圧迫する強大国中心の傲慢無礼な思考方式について公正な内外世論が受け入れがたい強盗の論理であると排撃する理由もそこにある。

 絶対的な力の独占とそれに依拠した既存の世界支配体制を維持しようとする独断的で一方的な思考方式は明白に古く劣ったものであり、それに執着するほどむしろ孤立し、さらなる挑戦に直面することになるだけであることを認識すべきである。

 人類はいま、自主と正義で歴史発展の新たな時代を開拓するのか、あるいは弱肉強食の法則が支配していた原始的な暗黒期へと引き続き後退するのかという重大な岐路に立たされている。

 人間は、正義に生き、真理のために命をささげる。

 国と民族にとって、自主権は、最高の正義、最大の利益であり、絶対不変の真理である。

 不公正で不正義の世界政治秩序にたいして痛嘆してばかりいるのではなく、果敢に変革の炎を上げなければならない。

 ただ一つの思想でも宇宙の無限大の空間を満たせる。

 世界に良心と至誠があるなら、真理と正義にたいする渇望と情熱が生きているなら、こんにちの不公正な国際政治の現実に反旗を翻し、奮然と立ち上がらなければならない。

 人類の永遠のよりどころである我々の惑星を米国をはじめ、幾つかの国の覇権と強権によってではなく、普遍的正義と絶対的真理を基準にして回る自主の惑星、平等の惑星、平和の惑星にしなければならない。

 強大国と弱小国との間の障壁を永遠に越えられず、弱小国は、昨日も、今日も、明日も強大国に服従しながら惨めに生きなければならないのなら、そのような地球は人類のために存在する必要がない。

 国連であれ、どんな国際機関であれ、人類の志向と念願、発展する時代と現実に即して公正で合理的に自分を変えていかなければならない。

 世界の共産党、労働党をはじめ、進歩的なすべての政党、団体が、崇高な自己の理念をかかげるだけではなく、世界の自主化と正義のためのたたかいの先頭に立ち、各界各層の被抑圧人民の団結した力で不公正な世界政治秩序を維持しようとする帝国主義の専横を粉砕しなければならない。

 この世界に大小の国はあり得ても国の上下はない。

 本当に大きい国、真の大国は領土が広くて人口が多い国ではなく、自主性と信念が透徹し、不義と専横に妥協を知らず、侵略と支配に反対して力強くたたかう勇気があり、胆力ある国、それによって万人の尊敬と信頼を集める国であるということを知るべきであろう。

 弱小国であるからといって、米国の顔色をうかがい、その力に押されて抗弁一つできずに見苦しく庇護と追従で生存の活路を見いだそうとするのではなく、自分の運命を自分の手に握り、自国の人民のための真の自主の軌道に入らなければならない。

 自分の名誉と運命をかけてすべてを差し出すことをためらう民族には、いつになっても生きる道は開かれないものである。

 東方の反帝・反米強国、朝鮮が歩んできた核保有の道についてもう一度見てみよ。

 我々は、核兵器を独占し、世界を支配する幾つかの強大国の隊列に入るために万難を排して核保有の道を歩んできたのではない。

 我々の核保有偉業は、米国をはじめ、強大国の強権と専横に最後まであらがって命よりも大切な自主権と尊厳を守り、この地で我々自身の力で自主統ーと民族万代の平和繁栄のための歴史的時代を開拓しようとする聖なる自覚に発している。

 「進路変更」や「核放棄」がなければもはや前途がないという米国式の詭弁に屈従したり、追従し、我々を心のなかでは同情しながらも表では背を向ける隊列が日を追って増えるなかで、数回にわたる「制裁決議」と数百ページの制裁リストによってこれ以上制裁するものも無くなったこの地で、我々はもっぱら自力、自彊の伝説のような力で米帝の横暴非道な専横に反撃を加える最も強力で完璧な懲罰の宝剣を鍛えた。

 こんにち、チュチェ朝鮮の核は、長い歳月、強大国の専横に抑圧されて支配と隷属、災難と犠牲を強要されながらも抗弁一つできずに生きてきた弱小国に信念と勇気を与え、世界の自主化偉業実現の新時代を開いてしくための正義のたいまつである。

 我々は、正義と平和守護の核の宝剣を高くかかげ、米国がつくりだした不公平な国際秩序とそれに盲従して「慣れ」ようとする大小の国の行為を正し、すべての国と民族の自主権と平等権が保障され、信頼と相互尊重の土台の上で互いに協力していく真の人類社会、公正な人類社会を建設するたたかいで先頭に立つであろう。

 領土は小さいが、高い自主意識に満ちて自力、自彊の威力で美しい未来を開拓する朝鮮式政治は最も理想的であり、先進的な政治方式として人類の羨望と支持を受けており、チュチェ朝鮮から広がる斬新で活力ある新たな政治の流れは、我々の惑星を完全に別の姿に変貌させることになるであろう。【朝鮮通信=東京】


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