防衛相の「武器輸出三原則」運用見直し発言非難
−2010年4月20日−


 朝鮮中央通信によると、20日付の「労働新聞」は、「軍国主義毒蛇の危険な企図」と題する署名入りの論評を掲載した。その全文は次のとおり。


 軍国主義の野望に浮かされた日本の反動層が、無鉄砲に狂奔している。

 最近、日本の防衛相は「日本経済新聞」とのインタビューで、「武器輸出三原則」の運用を見直し、自国が米国以外の国とも武器・武器技術の共同開発を可能にすべきであると言った。これに先立ち、日本の外相は国会衆議院外務委員会で、「有事」の際に日本の「安全」を確保するためには、米軍による核持ち込みも排除してはならないと騒ぎ立てた。言わば、「有事」に日本の領土を米帝の核作戦基地として提供するのもいとわないということである。

 日本の執権階層が、このように平然と毒々しい軍国主義のラッパを吹いているのは極めて尋常ではない。それは、懐に刃物を忍ばせた者の無謀な軍事大国化策動、再侵略野望の発露である。

 日本の反動層が、「武器輸出三原則」の運用の見直しを云々するのは、海外侵略をねらった軍事大国化に障害となるブレーキを外すところにその不純な目的がある。

 日本政府が1967年に「武器輸出三原則」を打ち出したのは、決して心から平和を望んだからではない。軍国主義復活策動に対する内外の憂慮と警戒心を静めて「平和国家」の香りをただよわせ、その裏でほかのことを行うためであった。そうした野心のもとに日本は、これまで米国を「武器輸出三原則」の対象から除外して彼らとの武器技術協力を積極的に推し進めてきた。このような手法で日本は、米国の高度な武器技術を数多く獲得しただけでなく、世界各国への武器輸出も体系的にふやしてきた。この過程を通じ、日本は「自衛隊」を現代的な武器で装備させて醜い私腹を肥やしてきた。日本の「武器輸出三原則」の欺瞞性と虚構性は、既に世界に余すところなく露呈した。

 今では、気が大きくなりすぎた日本の反動層は、形式上であれ標榜してきた「武器輸出三原則」のベールまでも、さっさと脱ぎ捨てて軍事大国化の道を気兼ねなくひた走ろうとしている。

 最近、日本の執権階層が、「武器輸出三原則」の運用の見直しについて力説したのは、そうした目的から出発したものである。彼らの本心は、厄介な「武器輸出三原則」を初めから葬ろうということである。

 日本の反動層が、米国が推し進める次世代戦闘機F35の共同開発に首を突っ込んだのは、軍事大国化の野望を実現するため彼らがどれだけあがいているのかをよくわからせている。

 「有事」を云々して米国の核兵器持ち込みの「必要性」について論じた日本の高位政治家の妄言もやはり、「非核三原則」を公然と拒否して核武装化へ疾走するための危険信号である。

 これまで日本は、世界で唯一の被爆国として「核を憎む」とたわ言を吐きながら、核兵器の持ち込みと製造、保有を禁止する「非核三原則」を「国是」に掲げてきた。しかし、日本の「非核三原則」は、20世紀の60年代にあった日米間の核密約によって当初から実のない殻になってしまった。

 日本がしらを切って米国との核密約を否認して「非核三原則」を掲げ続けた裏には、米国の対日核兵器持ち込み、配備を認める代価として、主人の黙認、庇護のもとに核武装化を推し進めようとする陰険な打算が潜んでいた。

 日本はこの数十年間、世界制覇をねらった米国の核戦略に積極的に加担、協力する過程に、核兵器製造技術とその運搬手段を開発、保有し、数千基の核兵器を製造できるプルトニウムを備蓄している。いったん決心さえすれば、いつでも核大国になれる準備ができているのがこんにちの日本である。

 核武装化を執拗に追求している日本の反動層は、「有事」にかこつけて米国の核兵器の持ち込みを合法化、既成事実化することで、名目上存在する「非核三原則」を根こそぎ吹き飛ばそうとしている。要するに、何の制約も受けることなく一日も早く核武装化の野望を実現しようということである。

 日本の軍事大国化・核武装化策動は、明らかに再侵略野望とつながっている。しかし、再侵略をねらった日本の軍事大国化・核武装化策動は、自滅を促す愚かな行為になるだけである。

 かつて、日帝の侵略を受けたアジア諸国はもちろん、世界が日本の軍国主義毒蛇の憎むべき挙動を鋭く注視している。

 日本の反動層が大勢に背を向けて軍国主義の野望に狂って分別なく振る舞っていては、大きな災難に見舞われるであろう。

2010.4.20「労働新聞」論評(全文)−朝鮮通信=東京



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