自己紹介
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 こんにちは。このホームページにアクセスをいただきましたことに対して、心から感謝いたします。

 このページのサブタイトルを「自主・平和・親善」としました。かみ砕いた表現をとるとすれば、自分のやりたいことを追求しながら、皆と仲良く、暮らしていくことが、今、求められていると言えます。

 私たちの社会生活は、当然のことながら、好むと好まないとに限らず集団生活であります。したがって、生活には、おのずから規律が必要となります。国と、地方自治体と、そこに住んでいる私たちの間には、法・条例などに基づいての規律が定められています。

 人間の生活で大切なことは、個々人の自主性を大切にし、互いを尊重し合うということではないでしょうか。自由を謳歌すると言っても、手前勝手な、自己本位であっては、人間生活は成り立たないことも自明であるといえます。

 第2期ブッシュ政権のごとく、自分流の民主主義を押し付けるという覇権主義では、世界の人々が迷惑を受けるだけではないでしょうか。

      真の戦後政治の総決算に向けて

 「自主性」については、金正日総書記の労作「チュチェ思想について」に詳細に論じられています。少し、長いですが、最後まで読んでみてください。

 このページの目的の、もう一つは、アジア太平洋戦争から60年を経過しました。結論を申し上げますと、いまだに侵略戦争を起こした日本は、その後処理をしていない。反省と謝罪をしていない。賠償責任を果たしていない。それによって、国連憲章の「敵国」条項から脱することができない。また、周辺諸国から、日本の政策は、「再侵略」をねらう政策だと指摘されるという状況を生んでいると言えます。私たち自身の問題として、未来に向けて、再び軍靴が闊歩するという状況をうんではいけないと考えます。

 その2点を考察の基本として、資料を提供していきたいと考えています。
 

         真実の報道を問いたい


 このホームページの構成は、閑話休題、くらしの知識・資料室・写真室とリンク集、ホームページ案内で構成しています。

 「ホームページ案内」は、記載記事の全体がわかるようにしてあります。最初に開いていただきますと便利かと思います。また、トップページのサイト内検索はすべてのページが検索できます。御利用ください。

 「閑話休題」の意図するところは、横道にそれた話しを元に戻したいという趣旨です。そのための資料を、ホームページ全体をとおして、提供していきたいと考えています。

 「未来志向」という発言が得意な政治家がおられるようだが、過去があり、現在があり、そして、今日の状況が、未来につながっていくことは、だれが何といおうと否定できない自明のことでしょう。現在、過去を意図的に消し去っているのではないでしょうか。必然的に、社会の各界・各層のリーダーと呼ばれる人たちに、「理念」を問われるということになっているのだと考えます。「志向」は、過去、現在を精確に把握した上で、今日の政策を決定し実行していく。そのことが未来を平和と安定の時代にすることになると考えます。

 芦田均(制憲時の衆議院における憲法改正案委員会の委員長)は、憲法第9条の立法理由について「改正憲法の最大の特色は、大胆率直に戦争の放棄を宣言したことであります。これこそ数千万人の人命を犠牲とした大戦争を体験して、万人のひとしく渇望するところであり、世界平和への大道であります。我々はこの理想の旗を掲げて全世界に呼びかけんとするものであります」

 いかがでしょうか。

 このサイトの全体をとおして漢字表記については、「和語は、ひらがな」「漢語は漢字」を基本としています。ですから、多くの人がそうであるように、常用漢字・当用漢字の使用ということを原則とされている方、あるいは、そのような文書に慣れている方には、違和感が生じるかと思います。

 この理由で、1ページあたりの漢字使用が多めになっており、見た目には、固い感じをもたれるかとも思います。執筆者にとっては、「読まれない」ということで、あまりいいことではないでしょうが、お付き合いくださることをお願いいたします。

 侵略戦争を起こした日本は、いまだに、侵略戦争の反省・謝罪をやり遂げていないことを近隣諸国から追求される現状にあります。

 特に、朝鮮半島、中国を始めとする東南アジアの各国人民の声を、真摯に聞くことが重要であると考えます。その視点から、商業マスコミが報道しない、あるいは、報道の全体ではなく部分的に恣意的な報道を憂いているひとりですが、資料室に提示していきたいと考えています。

 資料提供をいただければ、助かります。きょうのページ訪問に対して、改めて感謝の意を表しながら親近なお付き合いをくださることをお願いいたします。

             主な経歴

 ご参考までに私の経歴を告知します。

 名前は、小林吉男(こばやしよしお)といいます。私は、1941年8月11日、長野県上水内郡三水村で生まれ、小中高校(県立大町高校卒)は長野県大町市で過ごしました。

 主な経歴は、次のとおりです。

1.1962年4月 大町市内の企業に就職(〜94年7月退職)

2.1969年9月 企業内労働組合の専従執行委員に就任。長野県評青年婦人協議会事務局長就任など青年運動を経て、72年10月から93年12月まで大北地区労働組合評議会で専従(議長、事務局長)として地域運動に従事する。この間、長野県労働組合評議会幹事(1976年〜93年)を担う。

3.1999年4月から1年間、北アルプス広域シルバー人材センター松川事務所を立ち上げるために、所長を務める。

・主な公職は、長野県労働金庫理事(1983年〜94年)・大町市労働問題審議会・大町市振興計画審議会・大町市特別職の報酬等の審議会・大北地域雇用開発会議・大北地区と大町市の地域保健医療計画協議会・松川村男女別の共同社会推進協議会などの各委員です。

・国際連帯の活動では、中国(1977年)、ソ連(1981・1984年)、朝鮮民主主義人民共和国に1984年初の訪問以降十数回訪問し、共和国指導者との懇談を行う。


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