「北の魚雷攻撃説」の真相を論じる
−2010年5月25日−


 朝鮮中央通信によると、「逆賊一味が、捏造した『北の魚雷攻撃説』の真相を論じる」と題する軍事評論員の文が25日、発表された。その全文は次のとおり。


 朝鮮民主主義人民共和国国防委員会のスポークスマンは、李明博逆賊一味がかいらい海軍艦船チョンアンに対する「北の魚雷攻撃説」を捏造し、それを口実に我々に対する無分別な行動を強行しようと画策していることに関連して、我が軍隊と人民の原則的な立場を内外に厳かに宣明した。

 そして、逆賊一味が、チョンアンが我々の魚雷攻撃で沈没したと宣言した以上、それに対する物証を直接検閲、確認するために国防委員会の検閲団を南朝鮮の現地に派遣することにしたことも明らかにした。

 ところが、後ろめたい逆賊一味は、つじつまの合わないことだけを並べ立てて、検閲団の現地検閲・確認に必死に反対している。

 我々は、初めから荒唐無稽な逆賊一味の反共和国謀略説について、あえて論議する一顧の必要も感じなかった。

 しかし、逆賊一味が、全世界が共感している我々の正当な要求さえも拒否した以上、やむを得ず今回の事件の真相を暴露せざるを得なくなった。


1.「北の魚雷攻撃説」は、逆賊一味がつくり上げた荒唐無稽な捏造説である

 3月26日の夜9時、朝鮮西海の白翎島と大青島の近海で、かいらい海軍艦船チョンアンが原因不明で真っ二つに割れて沈没する悲劇的な事件が生じた。

 それから50余日後の5月20日、逆賊一味は「合同調査結果報告」なるものを通じて、チョンアンが我々の魚雷攻撃によって沈没したという「北の魚雷攻撃説」を世界に公布した。

 「北の魚雷攻撃説」は、艦船沈没事件発生の初期から、それを我々と無理やり結び付けて逆賊一味が仕組んだ荒唐無稽な捏造説である。

 今まで逆賊一味の操りのもと、「合同調査団」が差し出した各種の「物証」がそれを物語っている。

 では、沈没した艦船の煙突と船体の切断面から検出したという「物証」である「微量の火薬成分」から見てみよう。

 逆賊一味は、検出された「微量の火薬成分」が威力の強い高性能爆薬RDXであると確認したが、この火薬が魚雷に使用されるものなので、今回の艦船の沈没が北の魚雷攻撃によって引き起こされたと断定した。

 RDXは、白色の結晶性、非水溶性強力爆薬として現在、世界のすべての国の軍需・工業分野で普遍的に用いられているという。これは、南朝鮮も例外ではない。

 このような高性能爆薬RDXが使用されたからといって、それを我々の魚雷と結び付けること自体が強弁であり、艦船沈没の原因をそれと直結させるのはなおさら途方もないことであると言わざるを得ない。

 事実、火薬の成分を沈没した船体と煙突から「検出」したということ自体も、納得が行かない。激しい潮流や濃い塩度の海中に一日や二日でもなく数十日間も、丸ごと水に漬かっていた船体や煙突から火薬の成分を検出したというのも納得できないが、生存者が艦船沈没当時、何の火薬のにおいもしなかったと証言したことや、漁民たちが沈没現場に高性能火薬の爆発によって死んだ1匹の魚も、人工漁礁も浮かんでいなかったと証言したことなどは、人々の疑惑を十二分にまねいている。

 艦船が沈没した水域では、かいらい海軍と海兵隊のK9とKH179曲射砲などの実弾射撃が随時行われている。

 かいらい「民軍合同調査団」のある調査メンバーは、固定的な砲撃区域なので、海中で火薬の痕跡が検出されるかもしれないが、「艦船が直撃弾」に当たったのでもなく、深さ6〜9メートルの水中で爆発が起きて船が真っ二つに割れたのなら、デッキの上にある煙突や船体の切断面から火薬の痕跡が出たというのは話にならないと言った。

 彼は、もし、その部位から火薬を採取できるほどであるなら、船底は少なくとも「爆薬で塗られていなければならない」と述べた。

 逆賊一味は、この「微量の火薬成分」が「北のもの」という発表が信じられなくて、それを現在かいらい軍が使っている火薬と比較してみたのかという質問に言葉が詰まって戦々恐々とし、「指紋」に例えて「北の物」であるとしゃにむにに言い張ったが、専門家たちが評したように「百億分の1グラムという極微量の火薬成分」の分析に何の信頼性があろうか。

 これらを指して、反北対決と謀略に汚く狂ったと言うのである。

 逆賊一味は、謀略劇の捏造に「検出された火薬成分」を利用しようと必死になったが、世論の反発を恐れて最終調査発表の時には言及もできなかった。

 「北の魚雷攻撃」のもう一つの「物証」として持ち出した「合金の破片」も同じである。

 逆賊一味は事件発生の初期から、沈没場所500メートル水域を文字通り、すきぐしですくようにくまなく捜して「残骸の回収」を行った。

 多くの時間が流れた末、かいらい一味は突然、事件の原因究明に切実な「合金の破片」を捜し出したと公開した。

 その「合金の破片」は、魚雷の外皮を構成するアルミニウムとマグネシウムで構成された合金であると分析されたが、「7年前に回収した北の訓練用の魚雷」の材質と一致し、それが究極的には「北の魚雷攻撃」を立証する「物証」になるとした。

 周知のように、アルミニウムやマグネシウムの利用分野は多様である。この金属材は、沈没したかいらい海軍艦船の建造にも利用されている。

 そのような「合金の破片」がほかでもなく「北の物」として確定されたのである。

 逆賊一味が、5月20日の調査結果発表を控えて、沈没海域で「思いも寄らず回収」して、決定的な「物証」として差し出した長さ1.5メートルの魚雷の後ろの部分の胴体も疑問だらけである。

 その胴体には、5個の順回転および逆回転プロペラと推進モーター、操縦装置、駆動軸が壊れていない状態で付いているが、大きさと形、構成が「北の輸出用」兵器のパンフレットに記述されているCHT−02D魚雷設計図と全く同じであるので、それが艦船を沈没させた我々の魚雷の残骸であるというのである。

 果たして、これに妥当性があるのかということである。

 まず、数百トンにもなるチョンアンの艦首と艦尾も元の位置になく、西海の激しい潮流に押し流されてしまい、失踪者6人の遺体も最後まで捜せなくて「散華者」として処理しておきながら、魚雷の推進体が50余日間も同じ場所に残っていたということや、また極小の破片まで捜し出す先端探知手段を装備した米国、南朝鮮の数十隻の艦船が50余日間も捜せなかった1.5メートル大の魚雷の推進体をただの民間漁船が急にあらわれて漁網ですくい上げたというのは、イソップの寓話でのみ見られるコメディーであると言わざるを得ない。

 逆賊一味が「民間船舶による回収」を合理化しようと「証拠の写真」まで出したが、むしろ、それがあらかじめ作成されたシナリオにすぎなかったということだけが暴かれただけである。

 さらに、チョンアンを真っ二つに破壊した魚雷の推進軸スクリュー、モーターなどが曲がったり、傷ついていなかったこともやはり、見る人の苦笑を誘ったし、かいらい一味をやみくもにかばっていた米国と英国の調査団員たちも、突然あらわれたガラスケースの中のこの展示物の前では赤面せざるを得なかったという。

 外国向けの一般のパンフレットに極秘に使用する魚雷設計図を具体的に記述するというのは、そもそも話にもならず、非接触爆発により真っ二つに割れた艦体の切断部分と自爆によって著しく過熱した魚雷の腐食程度が同じであるはずがないというのが専門家の見解である。

 見ものは、「最も明確な物証」が魚雷の推進体の後ろの部分に「北の書体」で書かれている「1番」という文字であるということである。

 相手側に対する隠密な攻撃を計画するとき、痕跡を残さないというのは、初歩的な常識である。

 南朝鮮のわれこそはと自任する専門家たちも、「もし、北が攻撃を加えたなら、このようにおろそかに証拠を残すものか」とし、数十日間、海に沈んでいた推進体に機械で刻んだものではなく、青色のマジックで「1番」という手書きの文字が、今しがた書いたように鮮明なことから、捏造するにしても稚拙にしたと嘲笑した。

 彼らは、北では軍事装備に順序を書き入れるとき、「1号」「2号」と記すのであって、「1番」「2番」とは記さないが、よりにもよって「1番」という文字を書いて「北の物」と強弁する必要があるのかとひそひそと話している。

 「1番」の証拠があまりにも荒唐無稽であったので、南朝鮮のあちこちで「北、本当に親切にもさびつかない所に文字を書いて下さった」「街を走る青色の『1番』バスは北の対南浸透用」「8歳のおいの書体と同じだが、それじゃその子もスパイ?」「チョンアンを沈没させた『1番』(地方選挙でハンナラ党の番号)を記せば逆賊」という新語が誕生して流行しているほどである。

 逆賊一味が、「北の魚雷攻撃説」の証拠として差し出した我々の潜水艇の浸透ルートも同じである。

 「民軍合同調査団」は事件発生の3日前に、我々の潜水艇が夜間に基地を出発して公海を「コの字型」に迂回してチョンアンに接近し、攻撃を加えて再度同じルートを通じて帰ったと発表した。

 具体的な説明を求めると、潜水艇の水中機動は世界のどの国でも推定するのは難しく、したがって「北の潜水艇」の浸透ルートと離脱ルートもやはり、確認することはできなかったと言葉を濁した。

 その一方、海底の環境が複雑で、10メートル内外でも対象物を見分けられない西海の海床条件で、300キロほどの軽魚雷を搭載する小型潜水艇がどのようにして1.7トンの重魚雷を積載して1400トン級の艦船を「たった一度の攻撃」で沈没させられるのかという質問には、類似する水域であらかじめ訓練すれば可能であるという気の抜けたことだけを並べ立てた。

 チョンアンが沈没した水域は、北南間の紛争水域であって、逆賊一味が常に高度の警戒態勢を維持している水域であると唱えてきた所であり、そこは二重、三重の探知・監視システムが維持されていると自画自賛していた水域である。

 しかも、その時は、この水域で「フォールイーグル」合同軍事演習がクライマックスに達していただけに、対艦および対潜作戦と対空射撃、海上遮断作戦などに動員された各種の艦船集団と水中・空中偵察手段が集中されていた。

 にもかかわらず、「北の潜水艇」の攻撃・浸透ルートを推測して、幼稚にも「コの字型」を考案したのである。

 あまりのことに、南朝鮮のマスコミが、調査発表は、だれもけちをつけられないほど精密で確実になるべきであるが、仮想的な状況だけを並べ立てて「北でなければ、だれなのか」というふうに、漠然として単純推定したのだから、疑惑のみ増幅させるだけであると揶揄し、沈没したのはチョンアンだけでなく、「MB政権」の信頼であり、相次いで深まるのは疑惑であり、不信がまたほかの不信を生むのが今回の事態である。捏造と隠ぺいの方法で事件の真実をふせて「政権」にとって有利に歪曲しておいて、この先、内幕を知っているだれかが「良心宣言」でも発表すれば、この「政権」の運命がどうなるかと正面きって断罪したほどである。

 疑惑だらけの逆賊一味の「調査結果発表」を受けて、南朝鮮の進歩的なマスコミ団体が「検証委員会」を新たに構成し、真実を究明することにしたのは至極当然である。

 汚い犬の口から珍奇な象牙が出るはずがないように、捏造と謀略の名手である逆賊一味が差し出した「決定的物証」とは、このように「決定的疑問」にすぎず、最初から最後まで荒唐無稽なものである。


 2.果たして科学的で客観的な調査結果なのか

 逆賊一味は、「北の魚雷攻撃」によってチョンアンが沈没したということを明らかにするために、10の専門機関の専門家25人、軍専門家22人、かいらい「国会」所属専門委員3人、米国、英国などの外国人の専門家24人で構成された「民軍合同調査団」と「国際合同調査団」が投入されたと宣伝している。

 したがって、調査結果が「科学的」で「客観的」であり、導き出された結果も一分のすきもないということである。

 このような状況で、まず言っておくべきことは、今回の事件調査の担当者が果たしてだれかということである。

 今回の事件に責任を持つ当事者は、ほかでもなくかいらい軍部である。ところが、事件の張本人が調査を主管するようになった以上、結局、「犯罪者が自分の犯行を調査」するようになった。

 足かせをはめて法廷に立つべき軍部のごろつきがむしろ、調査をして奔走したのだから、その結果がどのようになるのかは、初めから火を見るより明らかであった。

 事件調査に直接関係したあるメンバーは、今回の沈没原因調査を「責任当事者の軍が主管しているので、それを信頼することはできない」と明白に述べた。

 逆賊一味は、事件調査に外国の専門家らが参加したことについて、「国際合同調査団」であると騒々しく宣伝しているが、かいらいと結託して奔走する米国や英国、オーストラリアのような国がどれほど客観的立場に立って調査に臨んだのかを問わざるを得ない。

 ある意味から見れば、これらの国はかいらいが演出した謀略劇の付き添い人の役を演じ、我々に対する国際的圧殺の口実を設けるために集まったニクバエの群れと言える。

 ニクバエの群れが集まるどぶからは、いつも悪臭が漂うものである。

 実際に、これらの国は極めて粗雑な調査結果が発表されるなり、我が共和国に反対する一大狂風を起こしで忙しく立ち回っている。

 逆賊一味は今回、一部の民間人を網羅して「民軍合同調査団」の看板を付けたが、彼らが調査にどれほど関与し、どのような役割を果たしたかということも、論議してみる余地がある。

 「厳選」された民間調査メンバーは、携帯電話の使用も許されず、外出も禁止されただけでなく、あげくには「機密保持の誓約書」を書くなど、調査が終わるまで、かいらい海軍軍艦トクト(独島)でさながら監禁生活をするようにし、手足が縛られたのも同じ活動上の制約を受けたという。

 ある民間調査メンバーが「北の魚雷攻撃」に仕立てる「国防部」の論調に同意しなかったという、たった一つの理由で調査チームから追放され、あげくには検察に起訴される悲劇を強いられたのは、その代表的実例である。

 専門家らが一致して、「今回の事故の当事者として調査を受けるべき軍が調査を主導した状況のもと、公正さと客観性は既になくなったも同様である」と断定したのは、至極当然である。

 今、世界は今回のチョンアン沈没事故の原因については、だれよりもかいらい軍部自身がよく知っているということに特に注目している。

 沈没した艦船が、正常な機動経路から逸脱して作戦水域ではない水深25メートルの水域に「座礁の危険をいとわず」進入したのも問題であり、事件発生後、生存者たちを「精神的ストレス」という病気ならぬ病気で「国軍首都病院」に集団入院させ、一切口を開けないように箝口令を敷いた事実もおかしなことであり、携帯電話を没収し、一切外部との接近を許可せず、事件当時の航跡および交信日誌と撮影資料を「軍機密保護」を理由に公開しないことなどは「軍の深い苦悩」を示して余りある。

 事件発生地点一つをもって、かいらい軍部の発表が5回以上変わり、チョンアンの艦長が初めは外部の挑発が「全くなかった」と言って、その後には「あった」と修正し、「検出された火薬成分」も、初期には世界がすべて用いる高性能爆薬RDXから、後には「ロシア、中国、北朝鮮などで使用する」というTNTに変更され、「北の攻撃によるものという根拠は何もない」と直接発表しておきながら、急に「北の魚雷攻撃」に変身させたのも、かいらい軍部である。

 調査の過程に利用された資料も、大部分かいらい軍とつながっている。

 沈没艦船の生存者たちが公式の証言で爆発音を1〜2回聞いたと言ったこと、衝撃で倒れた兵士が自分の顔に水滴が跳ねたと言ったこと、水柱を見たと言う目撃者がいなかったと言って、後に遠く離れている白翎島の監視兵があらわれて2〜3秒間約100メートルの高さの白色水柱を闇の中でも観測したというふうに、水中爆発を証言したことや、船体の変形形態、関連者の供述内容、死体剖検結果などが「軍機密上の理由」で一般人の接近を徹底的に遮断した状態で行われたことだけを見てもそうである。

 今回の「民軍合同調査団」の活動過程は毎日、かいらい国防部長官と合同参謀本部議長にのみ、直接報告するシステムで運営された。

 もっとも、李明博逆徒や鄭雲燦かいらい国務総理、元世勲かいらい国家情報院長をはじめ、軍事の「軍」の字も知らない「軍忌避者」(兵役拒否者)らが上層部に居座っているのだから、沈没事故を犯したかいらい軍部の連中が罪の意識どころか、好機にめぐり合ったかのように振る舞うだけのことはある。

 今回の調査の過程には、沈没の原因に関連して無視できない科学的資料が数多く提起された。

 30余年間、海難救助をしてきたある専門家は、チョンアンの艦尾が引き揚げられて海面上にあらわれる瞬間、「座礁して起こった事故」と即刻判断したと言い、沈没艦体に大きく掻かれた痕跡を見てもそうであり、失踪者らが下着のまま死んだのも非常状況ではなく艦船自体の不注意で沈没したということを物語っていると、具体的な事実資料をあげて立証した。そして、沈没した艦船の生存者らが座礁の事実を証言しなかったのはただ一つ、事実を隠さなければならないからであると言った。

 かいらい海洋警察局長も、海底地図を通じて事故の海域に暗礁があると確認し、ここの漁民たちも当該の水域に暗礁があると言ったことについて、なぜ「軍機務司」と警察、「政府のメンバー」が追及し、圧力を加えるのかわからないと言い、実際、先がとがって上げ潮の時は沈んでいる「フンハブヨ」という暗礁があると証言した。かいらい海洋警察も、「座礁したので救助求む」というのが、海軍から最初に受けた救助要請であったと言った。

 果ては、かいらい陸軍参謀総長出身をはじめとする人々は、チョンアンが外部の衝撃によって沈没したとすれば、当時、この水域一帯で実戦的な戦争演習をしていた米帝侵略軍の艦船や戦闘機によって誤爆されたかもしれないということと、そうでなければ「不満に満ちた内部の所行」として殴打と過酷な行為に虐げられた後任兵が自殺を企図して爆発物を破裂させて発生した「海軍版キム一等兵事件」であるかも知れないという主張を出したりした。

 事態の流れに慌てた逆賊一味は、自分らが作成したシナリオに合わないさまざまな推測と意見を仮借なく黙殺したし、調査の全期間、人々をだまし、脅迫し、政治的に利用するために威嚇、恐喝を加え、あらゆる統制手段を動員した。

 結局、チョンアンの沈没事故原因調査は、科学的かつ中立的で証拠中心的な過程を通じてではなく、反共和国対決狂信者らが純然と「北の魚雷攻撃」を強弁するための意図的で偏見に満ちた無理押し主張を立証することにつながった「官製調査」にすぎなかった。

 調査の過程が徹頭徹尾、「北の魚雷攻撃」に仕立てる方向にどのように調整、変化したのかということは、沈没の初期と中間、現在までかいらいが示した資料を比較してみてもよくわかる。

 事件発生の初期、かいらいは1960年代に米国が白翎島の電波探知基地を保護するために敷設した500〜600余りの機雷などを念頭に置いて「機雷による事故」の可能性を示したが、チョンアンが数回にわたって修理を受けるなど、余りにも老朽化していたという失踪者家族の主張通り「自然(金属)疲労破壊」の可能性も示した。

 また、空気中を速く飛行する銃弾と違って、水中で徐々に接近する魚雷のモーターの音を音波探知機が感知できない理由はなく、特に事故水域の水深が極めて浅いので潜水艇の機動は難しいかわりに、魚雷は容易に探知されるとして、「魚雷による事故の可能性」は全くないと言った。

 かいらい一味は事件発生の時、「北の特異な動向」がなかったと明らかにしたのは、「北が介入したという根拠がない」という意味であると公言した。実際に、情勢が緊張するときに実行する対北情報監視態勢である「ウォッチコン」も稼動させなかった。

 時間がたつにつれ、かいらいのなかでは「北の関連」が徐々に、そして執拗に流され始めた。

 用心深く始まった「北の関連説」は次第に、「北の直接介入説」に、公然とした「北の魚雷攻撃」に拡大され、すべてを我々と沈没した艦船を結び付ける方向につながった。

 反対に、我々との関連を否定する証拠は一つ、二つと闇に葬られたり、調査の対象から徹底的に排除された。

 そのなかには、今回の沈没事故の原因の核心的証拠であるガスタービンもある。

 ガスタービンは、艦船が二分されて沈没する時、事故水域にまっすぐに沈むようになっているので、別に時間がかかるものでもなく、引き揚げもやはり大きく問題視されなかった。

 しかし、かいらい一味は、初期からガスタービンが沈没水域にあるということを明らかに知っていながらも、「爆発によって流失した」という風説を流して、それを探すための努力自体を故意に「放棄」した。

 それは、ガスタービンの状態がどうかによって、沈没の原因を容易に判断することができるからであり、結局、我々に責任を転嫁する謀略劇が台無しになる恐れがあるという大きな憂慮のためであった。

 その後、ほかの調査メンバーによってガスタービンの位置が明らかになると、かいらいは仕方なく引き揚げたが、それも「政府調査結果発表」の前日になってようやく引き揚げて具体的結果が反映されないようにした。

 すべての事実は、逆賊一味が唱えているように、沈没事故の原因の調査が科学的ではなく、一方的な組み合わせ、客観的ではなく偏見と独断によって行われたということを示している。


 3.「北の魚雷攻撃説」は、「北風」をねらった危機脱出用である

 陰謀と謀略は、対決狂信者の固有な属性であり、生存方式である。

 率直に言って、艦船の中核部位でない船尾が爆発したので、将校だけがあらかじめ予見していたかのように、ボートと救命胴衣を着て海に飛び込まなかったなら、彼らが少しでも救助作業を行ったなら46人の若い兵士だけが惨事に見舞われる悲劇が起きなかったであろう。

 白翎島で生まれ、そこで暮らしているある住民が「今までこんなに近くにまで接近した哨戒艦は初めて見る」と証言し、ある軍事専門家がチョンアンの「北方限界線」近隣警戒任務は「北のあごの下に刃物を突きつける国防部の挑発」と言って、何らかの目的をねらった計画的な沈没として危惧の念をあらわしたのも一理がある。

 艦船沈没直後、かいらい海軍哨戒艦ソクチョ(束草)が、やみくもに北方に向けて130余発の艦砲射撃を行ったのは、鳥の群れに向けてよりも、「北に責任を転嫁」しようとするかいらい当局と軍の事前計画によるものであったということが明らかになったのは、その後のことである。

 チョンアンの沈没で、南の地がざわめいていた時、失踪者家族説明会に沈没した艦船の艦長が「不詳事」に見舞われた人らしくもなく公演の舞台に出演するかのように「余りにもこざっぱりした姿」であらわれたのも、衆人をあぜんとさせた。

 これは、チョンアンが見舞われた原因不明の沈没が、風前のともしびの境遇に瀕した「実用政府」が余命を長らえるために意図的にでっち上げた残忍な謀略劇ではないかという疑惑を増幅させた。

 今、南朝鮮の進歩勢力は言うまでもなく、野党と市民社会団体、果ては「民軍合同調査団」の関係者まで、今回の「調査結果」を「政治的意図のある幼稚で厚顔無恥な詐欺劇」「選挙用の『北風』捏造劇」「空想小説の完結版」であると辛辣に揶揄し、非難しており、ある保守マスコミ団体が行った世論調査結果によっても、大卒以上の高学歴者と20代回答者の半数が「調査結果」を否定している。

 問題は、かいらいがなぜ、これほど幼稚で拙劣な詐欺劇を捏造し、科学的証拠や客観的な手順をすべて無視し、「北風」世論を流すのにそれほど血眼になっているかということである。

 それは一言で言って、逆賊一味が直面している現危機から脱しようとする断末魔のあがきの発露である。

 今、南朝鮮の政局は類例のない一大危機に瀕している。

 執権初期から「韓米同盟万能主義」を持ち出し、親米一辺倒の外部勢力依存に執着した結果、南朝鮮では米帝の植民地化がよりいっそう深まっており、反人民的な悪政とファッショ独裁が横行して人々が生きられない生き地獄に変わり、極悪非道な対決政策によって北南関係はもはや、収拾できない最悪の局面に至るようになった。

 もし、今回の艦船沈没事件が「みずからの過失」によるものか、「原因不明」の事故と判明される場合、激怒した民心の波が「軍最高統帥権者」である李明博逆徒とその一味をまるごと転覆させるということは至極明白であった。

 世論は、チョンアン事故がややもすれば、南朝鮮全体を二分、三分にすると意味深長に評した。

 さし当たり、チョンアンの沈没は、逆賊一味に6月2日に行われる「地方選挙」で大惨敗を被らせ、さらには保守勢力の再執権が水泡に帰する悪夢を与えるのに十分であった。

 逆賊一味が密室で「原因発表−大統領談話−国防部声明」というシナリオを作成して、普通の日でもない「地方選挙」のための公式選挙運動が始まる初日に、チョンアン沈没の原因を「北の魚雷攻撃」と罵倒する「調査結果」を発表したのもやはり、決して理由のないことではない。

 南朝鮮のかいらいが、チョンアン沈没事故を我々と結び付けるのは、最近の南朝鮮・米国間の軍事的懸案とも無関係ではない。米国は、自分らの戦略的利害関係から2012年に「戦時作戦指揮権」をかいらいに形式上譲りわたし、「戦略的柔軟性」の美名のもとに、南朝鮮占領米軍武力をいつでも世界の紛争地域に急派できるよう再編成しようとしている。

 米国に寄生して余命を長らえるかいらいは、「戦時作戦指揮権」移譲に合意しておきながらも、米軍がいなければ自分らの北侵野望が実現できないということから、それを再調整してくれるよう哀願してきた。

 チョンアン沈没事件の責任を我々に転嫁すれば、「北の脅威説」と朝鮮半島の「不安定」を大きく浮き彫りにして、米帝侵略軍の足をつかむことができるというのがかいらいの卑劣な下心である。

 逆賊一味にとっては、今回の艦船沈没事件をどうしても「北の所行」に仕立てることが自分らの活路となった。

 チョンアンが老朽化してみずから沈没したり、運用欠陥で座礁したとしても、李明博逆徒とかいらい軍上層部に全責任がある。

 艦船沈没事件が発生してから、失踪者家族の中から逆賊一味が人民の天文学的な血税を蕩尽しながらも、艦船の正常の補修対策を立てず、「艦船内部に海水が入ってくる」など、極めて「劣悪な状態」という非難が降りしきり、1986年にファシスト独裁者が朴鍾哲君を拷問し、死亡させてから、それを隠すために「机をぽんとたたくと彼が倒れた」と言うようなうそをつくなという糾弾の声が高まっている。

 かいらい国会でも、「国防部」の「安易な軍紀綱」と「無責任な装備管理」を問題視して、かいらい軍上層部の首を切るための「特別監視機関」まで設置されるなど、「問責」の矛先はかいらい軍部に向けられた。

 特に、南朝鮮の各階層は「政府」の危機管理対応態勢がおろそかで、「安保体制」に大きな穴が開いた結果による大型惨事であると嘆いて、李明博逆徒の謝罪と逆賊一味の総辞職を強く求めている。

 荒れ狂う大波の中の難破船をほうふつさせる現危機からの活路を求めるために逆賊一味が捏造したのがまさに、「北の魚雷攻撃説」である。


 4.「報復」にはより強力な報復で、「膺懲」には我々の方式の無差別な懲罰で

 北南関係史にかつてない前代未聞の軍事的謀略劇を捏造した逆賊一味は今、無分別に狂奔している。

 一匹の狂犬がほえれば、百匹の町内の犬がほえると言うが、李明博逆徒が史上初めて「主要全軍指揮官会議」という戦争謀議に顔を出して、「言葉を先立たせるよりは、行動で確かで断固とした措置を講じる」と反共対決に血道を上げると、金泰栄、柳明桓、玄仁澤をはじめとするかいらい保守分子らも尻馬に乗って「断固たる膺懲」と「応分の代価」を言い散らし、対決狂気を振るって奔走している。

 民族反逆の群れである逆賊一味は、米国をはじめ各国を訪ね回って、チョンアン沈没事故が「北によるもの」と強弁を張っており、国連安全保障理事会に付託して「テロ支援国再指定」など、我々に対する国際的制裁包囲網を実現するために狂奔しており、その代価としてアフガニスタン派兵と「韓米自由貿易協定」の譲歩もためらっていない。

 逆徒の訓令のもと、かいらい軍部はむきになって艦船沈没日をかいらい軍の「恥辱の日」と唱えて、「必勝50日計画」の実行に着手した。

 特に、自分が死ぬか生きるかも知らずに「全軍作戦指揮官会議」をはじめ、戦争謀議を相次いで行う一方、西海海上で米帝侵略軍原子力潜水艦の参加のもとで大規模な連合潜水艦訓練の強行と前線一帯での反共和国心理戦放送の再開についてもやたらに取り上げて論じている。

 醜悪な人間のくずを駆り出して我々の魚雷攻撃でチョンアンが沈没したというでたらめな動画まで制作して散布するようにするなど、骨髄に徹した悪辣な対決本性もいち早くあらわにしており、我が船舶の済州海峡通過不許可、開城工業地区事業をはじめとする北南経済協力・交流の全面遮断を唱えている。

 現在、逆賊一味は「北の魚雷攻撃説」に異議をはさむ人であれば、それがだれであれ関係なく「左翼赤」「親北」に仕立てており、「調査結果」に関連する「誹謗」や「不法集会」を催すと、厳重対処すると騒ぎ立てて疑惑説を流した人々を連行して拘束しており、笑止千万にも自分らの生半可な捏造劇に同調しない国々に対して「北の肩を持つ」「北庇護」とあたり散らしている。

 度合いを越えたかいらい一味の対決狂気は、主人である米国のバックアップを抜きにして考えられない。

 米帝は、チョンアンが沈没すると、即時に我々がこれに関与したと騒ぎ立てる一方、かいらいの調査過程が「相当の信頼性」がある、「北の魚雷攻撃」発表に「全幅の支持」を送るなどとして、手先を対北敵対と強硬対決へと積極的にあおり立てた。

 かいらい一味のチョンアン調査結果発表後には米国の声明発表、逆徒の「対国民談話」発表後には米国の支持立場発表など、必要な政策共助と協力維持立場を公開した米帝は、既に国務省、国防総省、中央情報局の悪名高い謀略家らで謀議を行い、見かけだけの「国連軍司令部」というものを押し立てて「特別調査団」を派遣し、既に凋落して存在しない「軍事停戦委員会」という幽霊機構を通じて、事件を処理するというもう一つの欺瞞劇も共同演出しようとしている。同時に、南朝鮮占領米帝侵略軍第8軍司令部の「戦争遂行司令部」転換に伴う北侵態勢に万全を期している。

 諸般の事実は、「北の魚雷攻撃説」こそ、醜悪な野望と邪心のもとに同族を謀略にかけて害し、圧殺するための逆賊一味の稚拙な反共和国謀略劇であり、露骨な対決茶番であるということを実証している。

 逆賊一味の強盗さながらの謀略劇は、6.15統一時代に対する公然とした否定、全面排撃であって、北南関係史に記録される特大型犯罪行為となる。

 我が軍隊と人民は、最後の息も絶え絶えにあがいている李明博逆賊一味を民族の構成員から既に除去して久しい。

 罪と罰は、一つの幹からなるものである。

 李明博逆賊一味の無謀な対決騒動は、我が軍隊と人民の敵がい心と報復意志ばかりを百倍、千倍に激増させるだけである。

 我が軍隊と人民は、艦船沈没事故の原因を我々と結び付けて同族圧殺の機会をねらっている逆賊一味の蠢動を鋭く注視しており、決定的な反撃態勢を堅持している。

 もし、南朝鮮のかいらい一味が、米帝を後ろ盾にして我が共和国に政治的であれ、軍事的であれ、経済的であれ、いかなる些細な挑発の動きでも見せるなら、我々は即時、正義のせん滅戦でこたえるであろうし、朝鮮半島から民族のあらゆるごみを取り除き、そのうえに全民族の強盛統一朝鮮を打ち立てるであろう。

 執権は一時であり、民族は永遠であるという言葉がある。

 病的な対北敵対感が骨髄に徹している李明博逆賊一味が「青瓦台」に居座っている限り、南朝鮮を相手にすることは決してないであろう。

 歴史と真実は、いつでも明らかになるものであり、謀略家は時効に関係なく、正義の厳しい審判を免れない。

2010.5.25 軍事評論員の文(全文)−朝鮮通信=東京



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