南当局の優柔不断な態度で共同行事開催されず
−2017年6月15日−

 朝鮮中央通信によると、民族和解協議会(民和協)は15日、全文次のようなスポークスマン談話を発表した。

 周知のように、6.15共同宣言発表17周年に際しておこなうことにした北と南、海外の民族共同行事が南朝鮮当局の優柔不断であいまいな態度によって、とうとう開催されなかった。

 保守一味の極悪な同族対決政策がまねいた北南関係の破局的結果を清算し、全民族が力を合わせて自主統一の大道を開いていくうえで意義ある契機になる6.15民族共同行事が開催されなかったのは、実に胸の痛むことにほかならない。

 今回の民族共同行事にどう臨むかというのは、北南関係の改善と統一にたいする現政権当局の立場を推し量る一つの試金石であると言える。

 しかし、南朝鮮当局は、初めから「韓米首脳会談前の6.15共同行事の開催は負担になる」だの、「国際的な制裁の枠内で検討する」だのとはっきりしない態度をとり、これに手を付けようとしなかった。

 そのうえ、米国の日々露骨になる北侵戦争挑発狂気に対処した我々の正当な自衛的国防力強化措置にいちいち言いがかりをつけ、民族共同行事の開催に人為的な難関をつくるのもためらわなかった。

 保守一味が口癖のように騒ぎ立てていた「挑発」だの「孤立」だの「制裁と圧力を通じた断固たる対応」だのの対決妄言が現当局者の口からためらいなく飛び出た。

 これが、一日も早く北南関係を改善し、6.15時代のような和解と団結の新しいページを開くための民族共同行事開催の雰囲気に冷や水を浴びせる重大な反統一的犯罪行為になるのは言うまでもない。

 こうした事実にもかかわらず、南朝鮮当局は、「6.15共同宣言17周年南北共同行事は北側が拒絶したので開催できなくなった」だの「北側は6.15共同宣言実践南側委員会の訪問に関する招待状や身辺安全保障覚書を送ってこなかった」だのと苦しい弁解をしたばかりか、「政府ができる限りのことはおこなった。問題は北のせいであった」という不当な詭弁まで並べている。

 一体、南朝鮮当局がいまごろ何の面目があって、誰それの「責任」だの何のの破廉恥なたわ言を並べるのかということである。

 権力を握ってたった1カ月しかならない南朝鮮当局が、既に「できる限りのことはおこなった」という寝言のような詭弁を並べるのはさらに見ものにほかならない。

 これが、対決に狂奔して北南関係を破局に追い込み、その犯罪行為を覆い隠そうと世論をミスリードした朴槿恵かいらい保守一味の醜悪な態度と何が違うのか。

 いま、 6.15共同宣言実践南側委員会をはじめ各階層が、「6.15共同行事の開催にたいする明白な立場を示さなくても言うことがあるのか」と南朝鮮当局の卑劣な行為を強く非難しているのは決して偶然のことではない。

 さらに問題になるのは、定見もなく米国と保守勢力の顔色ばかりをうかがう哀れな境遇で北南関係の改善を云々する南朝鮮当局のあきれた態度である。

 外部勢力はわが民族の統一を願わないし、外部勢力依存を排撃せずには北南関係を改善できないというのがこれまでの民族分裂の歴史の最も骨身に染みる教訓である。

 明白にするが、6.15共同宣言と10.4宣言は、民族自主の精神、わが民族同士の理念の結晶体である。

 以前の革新「政権」が、米国の承認や保守勢力の同意を得て北南宣言を採択したのではないことを南朝鮮当局ははっきりと知らなければならない。

 北南宣言履行のような根本的な問題は回避し、民間交流を容認するからといって北南関係が改善されるのではない。

 現南朝鮮当局の優柔不断な態度は、6.15共同宣言と10.4宣言の精神を継承した「政権」、ロウソクをかかげた民心を代弁しようとする「政権」であるのかを疑わざるを得なくしている。

 南朝鮮当局がいまのように進んでは、北南関係の改善はおろか、執権全期間にまともな対話を一度もできずに内外の非難と呪いばかりを受けた保守「政権」の恥ずべき前轍を踏む結果しかもたらすものがない。

 南朝鮮当局は、北南関係の改善と朝鮮半島の平和と統一を願う全民族と各階層の民心をこれ以上愚弄してはならない。

 北南関係の改善のために南朝鮮当局が優先的にすべきことは、対米依存を脱して保守一味の反民族的な同族対決罪悪を断固審判する勇断をまずくだすことである。

 南朝鮮当局は、北南関係にたいする自分らの立場と態度を全民族が注視していることを銘記しなければならない。【朝鮮通信=東京】


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