対朝鮮政策「4大基調」の欺瞞性と狡猾さ
−2017年5月31日−

 朝鮮中央通信は31日、「トランプ政権の新しい対朝鮮政策『4大基調』の欺瞞性と狡猾さを明らかにする」との見出しの署名入りの記事で次のように指摘した。

 最近、米国のトランプ政権はこの数か月間、「北朝鮮核問題」を解決するための選択案をテーブルの上に乗せて頭を絞った末にとうとう対朝鮮政策を「最大限の圧力と関与」に最終確定したのに続き、それをより具体化した「4大基調」なるものを公表した。

 トランプ米大統領が正式署名した「4大基調」とは、第1にわが共和国を核保有国として認めず、第2にすべての制裁と圧力を強化し、第3に「北朝鮮の政権交代」を推進せず、第4に最終的に対話で問題を解決するというものである。

 いわゆる「新しい政策」として世に出すには、実に恥ずかしい骨董品にほかならない。

 米国家安全保障会議(NSC)を筆頭に国務省、国防総省、国土安全保障省など主要な省庁とブレーンを自任する者が集まってガヤガヤするので何事であるかと思ったが大山鳴動して鼠「4匹」であった。

 対朝鮮政策の「4大基調」なるものが、あまりにも陳腐であきれたもの、空虚で実のないものなので一考を要する価値も感じないが、歴史の教訓に無知なトランプ政権が荒唐無稽な迷夢から一日も早く覚めるようもう一度警鐘を鳴らす必要があるようである。

 「北朝鮮を核保有国として認めない」というのがトランプが署名したいわゆる「4大基調」の第1項目である。

 これは、いわゆる「政策」であるという以前に、絶望の淵でつくため息、あるいはかたくなな片意地であるというのが妥当であろう。

 トランプは、自分が意気揚々として持ち歩く核のかばんの中に核のボタンとともに核の判も入ってると錯覚しているようである。しかし、果たしてこんにち核を保有する国のなかで、誰が米国の判を押して核保有国になったというのか。

 我々は、米国の核の威嚇から自分の尊厳と生存権を守るべき死活の要求と自主的な決断に従って自衛的核抑止力を握った。

 誰かに認めてもらおうとして我々が核を保有したのではない。

 また、誰かが認めないからといって明らかに我々の手中におさめた核がなくなることはなおさらない。

 「否認」だの何のと米国が言葉遊びをするこの時刻も、さらに多様化、高度化されているのが我々の核戦力である。

 事実、米国は、我々を核保有国であると認めるのが非常につらいであろう。

 朝鮮がいまの速さで進めば2020年までに100個を超える核を持つようになると自分らの口で騒ぎながらも、核保有国として認められないというのがどれほど強引な主張なのかをみずからが知らなくないからである。

 明白なのは、もはや「北の核廃棄」なる夢も見られないほど不可逆的なものになったし、こんにち、我々の戦略的地位は何によっても崩せないほど確実になったということである。

 我々の核が相手にしている敵は、米国が朝鮮半島と地域で起こそうとする核戦争そのものであり、その義に徹した性格と正当な使命は全世界の絶対的な支持と共感を得ている。

 米国と敵対勢力に残ったのは、我々を核保有国として認めるかどうかというつまらない無駄口をたたくことしかなくなった。

 結局、米国の「核保有国否認」は事実上、わが共和国がもはや無視できない核強国としてそびえ立ったことを認める遠回しに言う(婉曲の)表現、無言の宣言であると言うべきであろう。

 「朝鮮にたいしてすべての制裁と圧力を強化する」というのがトランプが署名したいわゆる「4大基調」の第2項目である。

 トランプ政権の対朝鮮政策作成者が硬直した思考を脱せないままとうとう限界に直面したのは明らかである。

 時代錯誤と誇大妄想にとらわれたドンキホーテのように、過去の政権が何百回も使っては捨てた「制裁と圧力」というさびたヤリをホワイトハウスの兵器庫からまたひっくり返して持ち出してきたからである。

 もしくは、「制裁と圧力」なる言葉が、「黙示録」の恐ろしい地獄の場面を連想させる代名詞と思えてこれに「すべての」という冠詞まで付け加えれば恐怖の効果を極大化できると愚かに打算したのかもしれない。

 より強い者が弱い者を押さえ付けることを指して圧力と言うとき、いったい、米国が何の力で一心団結の強国、天下無敵の軍事強国である我々に圧力を加えるということなのか、寝ていた牛も起きて笑うことである。

 自由と繁栄の天国であると宣伝していた「アメリカンドリーム」は既に崩れ出して久しく、狂ったような侵略戦争で国庫が破綻して慢性的な財政危機、甚だしい貧富の格差など、不治の米国病にさいなまれて弱り、病気にかかって体がボロボロになった老いた病弱な患者がまさに米国である。

 自分のことにも手が回らず、いまや「世界の憲兵」ぶることもできないと手を上げ、あの国、この国に金を出せと手を出す境遇に陥った米国は、一人の力では朝鮮に圧力を加えられないので他の国々にやってもらうしかないと泣き言を言っている。

 しかし、我々には、いかなる制裁や圧力も通じない。

 敵の制裁強度が増せばそれに正比例してさらに強くなるのが朝鮮の精神力であり、圧力を加えれば加えるほどさらに高く湧き上がるのが朝鮮の気概である。

 トランプ政権は、米国がこの70余年間に朝鮮にたいする孤立と封鎖、圧殺策動で得たものは傷と苦痛と恥だけであることを銘記せよとのホワイトハウスの先任者の沈うつな助言を聞き流してはならない。

 米国は、「制裁と圧力」を万能の魔法のつえとみなして、あえて朝鮮に向けて振り回しては、自分の頭だけを傷つける悲劇しかもたらすものでないことをはっきり知るべきである。

 「政権交代を追求しないのでどうか信じてほしい」だの何のと最近、米国の高位人物の間で哀願に近い調子で出てきたこの言葉がトランプ政権の対朝鮮政策「4大基調」の第3条項として正式に定まった。

 腹黒い米国の下心が透けて見える稚拙な変身術であると言わざるを得ない。

 米国の言葉に信憑性を付すには、我々の社会主義制度を敵視せず、認めて容認する態度を示すべきであり、空母打撃群と特殊戦武力まで投入しておこなう合同軍事演習もやめる勇気も示すべきである。

 しかし、けだものの本性が変わるなら、米国は既に米国ではないであろう。

 米国が他国の核保有は黙認しながらも、躍起になって我々の核だけを問題視して襲いかかるのは、まさにそれが反米、自主の城塞、人類の希望の灯台である社会主義朝鮮が握った核であるからである。

 朝鮮式社会主義が成功すれば連鎖反応を起こして世界政治の地殻が変わり、東方朝鮮で起こった自主の赤い波が世界を覆い、米国の世界支配の野望が水泡に帰して米国主導の一極世界は終わることになる。

 しかし、米国が、我々がこの体制を守る核の宝剣を差し出せば侵略もしないし、体制にも手出ししないと言っているのだから、これは生きている人に内臓を取り出せば生かしてやると言うも同然のずうずうしいたわ言にすぎない。

 米国の「政権交代排除」のラッパを裏返せば、強盗の横暴非道な威嚇、恐喝の毒気を含んでいる。核を捨てなければ侵略も辞さないし、体制転覆もためらわないということである。

 そもそも主権国家を対象に侵略をするか、しないか、政権を交代させるか、させないかの類いを公然と政策の基調に定める自体がどんなに高慢、身勝手で横暴非道な専横であろうか。

 自分らが誰かの体制を転覆するのは、例によって正しく当然のことであるが、慈悲と寛容を施してそれを追求しないというたわ言を吐くのは、強盗が他人の家の前で刃物を持って立ち、家主に侵入しないのでありがたく思えと言い散らすのと何が違うのか。

 我々の体制を守る道は、我々がよく知っている。

 それは、虎視眈々と我々の主権、我々の体制を狙う侵略者に戦慄と恐怖、死を与える強力な我々式のチュチェ兵器、核攻撃手段をさらに立派に、さらに多くつくって自衛の城塞を高く築く道である。

 米国は、あえて我々の心臓である最高首脳部と神聖な我々の体制に手出しする場合、米国領土そのものが地球上から消え去ることを銘記し、愚かな妄想を未練なく捨てなければならない。

 「最終的には、対話で問題を解決する」といういわゆる「4大基調」の最後の条項は、トランプ政権が進退両難と窮余の策のヤブに入り込み、さまよってたどり着いた自家撞着の終着駅と言える。

 問題を解決するための正常な道理なら、いわゆる対朝鮮政策の「4大基調」で一番最初にあるべき「対話」の条項が逆に一番最後に、それも「最終的に」というラベルまで付けたままになっていることだけを見ても、その下心が何であるのかをすぐにわかる。

 それは、まず圧力、後に協議の原則にもとづいて最大限の圧力と制裁で誰かを屈服させた後に対話のテーブルに引きずり出して降伏書を受け取るというものである。

 いまがいつであり、相手が誰であるのに、19世紀の時代に他国の海岸に押しかけて大砲を撃ちまくり、各種の不平等条約を強要した「砲艦外交」を再現すると言い立てているのかというのである。

 「対話」などどこ吹く風でいま、米国は表向きには「対話」の看板をかかげ、実際には制裁と圧力、「北の核廃棄」ばかりに血眼になって狂奔している。

 振り返ればこの数十年間、朝米双方は、非公開、あるいは公開であらゆる協議をおこなったし、その過程に1993年6月の朝米共同声明、94年10月の朝米基本合意文、2000年10月の朝米共同コミュニケ、2005年の9.19共同声明、07年の2.13合意に至るまで各種の合意や声明にもこぎ着けた。悲劇は、その内の何一つ解決したものがなく、何一つ履行されたものがないのである。

 原因は、米国が会談を双方の懸案を解決する場ではなく、相手を威嚇、恐喝する手段、舌先三寸で我々の「拳をおろさせ」て思いどおりにするためのテコに悪用してきたことにある。

 米国が対話を圧力の延長であるとみなす限り、命よりも貴重な我々の核を何かと代えられる取引の対象と錯覚する限り、その真っ黒な懐の刃物を捨てない限り、たとえ、対話がおこなわれるとしても人間とけだものの言語疎通が果たしてまともにできるのか。

 米国が「最大限の圧力と関与」に続いて確定したいわゆる対朝鮮政策の「4大基調」なるものは、ホワイトハウスの政策作成チームの知的能力の限界と視野の狭隘性だけを赤裸々にあらわにした。

 トランプ政権が真に我々と何かをなし遂げたいなら、無鉄砲に性急に振る舞うのではなく、トルーマンからブッシュとオバマに至るまで歴代の政権がなぜ70年以上、朝鮮と対峙して皆苦汁をなめて哀れに消えたのかについての勉強からしっかりする方が良かろう。

 米国と敵対勢力がいくら認めないとあがいても、名実共に核強国であるわが共和国の地位はびくともしないし、侵略者、挑発者が目を覚ます間もなく核戦力の多様化、高度化はさらに推し進められるであろう。

 偉大な並進路線に従って我々が行く国家核戦力強化の道は誰も阻めない。【朝鮮通信=東京】


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