李乙雪元帥死去

訃  告
−2015年11月7日−

 朝鮮中央通信によると、朝鮮労働党中央委員会および中央軍事委員会、朝鮮国防委員会、朝鮮最高人民会議常任委員会は7日、次のような訃告を発表した。

 朝鮮労働党中央委員会委員で最高人民会議代議員、朝鮮人民軍元帥である李乙雪氏は長期間、肺癌で治療を受けた末、2015年11月7日午前10時10分、94歳を一期に惜しくも死去した。

 李乙雪氏は、白頭山の不世出の偉人たちの賢明な指導のもとに生涯を革命の軍服を着て党と領袖を決死擁護する最前線で民族解放・階級解放偉業の勝利をおさめ、人民軍を無敵必勝の革命武力に強化し、発展させるためにすべてをささげてたたかってきた抗日革命闘士であり、わが党の忠実な老革命家である。

 日帝植民地統治の暗たんたる時期に貧農の家庭に生まれ、植民地亡国の民の悲惨な境遇を強いられた李乙雪氏は、若くして朝鮮人民革命軍に入隊して金日成主席と抗日の女性英雄金正淑女史の格別な愛と配慮のなかで白頭山の革命精神を体質化した革命闘士に育ち、朝鮮革命の主体的路線と戦略・戦術的方針をしっかり擁護、貫徹し、祖国解放の聖なる大業を成就するために英雄的にたたかった。

 李乙雪氏は解放後、主席の身辺の安全を守る責任ある職務で活動し、内外の敵の悪辣な蠢動を粉砕して革命の首脳部を命がけで死守した。

 また、米帝の武力侵攻に反対する峻厳な祖国解放戦争(朝鮮戦争)の時期、有能な軍事指揮官として人民軍軍人を敵撃滅へと巧みに組織、指揮し、主席の副官長の重責を担って反党・反革命分派分子と結託した米帝の空爆と暗殺策動から革命と祖国の運命を決死守護し、祖国解放戦争の勝利をおさめるのに貢献した。

 李乙雪氏は、戦後の時期と社会主義建設の時期に領袖擁護の第一線の哨所と朝鮮人民軍大連合部隊の責任ある地位で金日成主席を首班とする党中央委員会を政治・思想的に、武力で保衛し、人民軍を無敵必勝の革命強軍に強化し、発展させるためにあらゆる知恵と情熱を尽くした。

 かつて、祖国解放の暁光が差した歴史的時期から金正日総書記を白頭山の光明星にいただき、純潔な良心と真心をささげた李乙雪氏は、金正日総書記の先軍革命指導に忠実に従ってチュチェ革命武力の発展の歴史に特出した功績を積み上げた。

 李乙雪氏は、長期間、革命の首都平壌を防衛する軍部隊と護衛部隊の責任ある地位で活動し、軍人を白頭山時代と祖国解放戦争の時期の親衛戦士の忠実さの伝統を継承した真の革命家に育てることにあらゆる心血を注ぎ、峻厳な苦難の行軍、強行軍の時期に祖国守護と富強祖国建設偉業を陣頭で指導する総書記の安寧を守るためにすべてをささげてたたかった。

 李乙雪氏は、生涯を革命の軍服を着て党に従おうとする戦士の願いを察して最高司令部の重要職務を任せた総書記の大きな愛と信頼を胸に深く刻み、献身的にたたかってわが人民軍を革命の首脳部決死擁護の精神がフル装塡された白頭山革命強軍、先軍革命の主力軍に強化し、発展させるのに寄与した。

 李乙雪氏は、生の最後の瞬間まで敬愛する金正恩同志を人民の傑出した指導者、創造と建設の英才、希代の政治家に絶対的に崇拝して従い、党の偉業に限りなく忠実な抗日の老闘士の立派な模範を示すことで、わが軍隊と人民をチュチェ革命偉業を継承し、完成させる聖なるたたかいへと鼓舞、激励した。

 李乙雪氏は、党と革命に対する限りない忠実さと祖国と人民に対する献身的服務精神、透徹した革命的原則性と謙虚で、気さくな品性によって、人民軍将兵と人民の尊敬と愛を受けた。

 李乙雪氏の生涯は、党と領袖を革命の信念と信義で支え、祖国と人民のために献身的にたたかったチュチェ型の革命家の生涯であった。

 李乙雪氏の死去は、強盛国家建設偉業の最後の勝利と祖国の自主的統一を早めるために力強くたたかっているわが党と軍隊、人民にとって大きな損失となる。

 李乙雪氏は死去したが、党と革命、祖国と人民に立てた氏の功績は、チュチェ革命偉業の勝利のうちの前進とともに末永く輝くであろう。


略  歴

 李乙雪氏の略歴は次のとおり。

 朝鮮労働党中央委員会委員で最高人民会議代議員、朝鮮人民軍元帥である李乙雪氏は1921年9月14日、咸鏡北道金策市の貧農の家庭に生まれた。

 李乙雪氏は、日帝統治の暗たんたる時期に金日成主席が組織、指導した栄光ある抗日武装闘争に参加して祖国解放のための聖なる偉業に自身のすべてをささげた。

 氏は1937年7月、朝鮮人民革命軍に入隊後、司令部の伝令兵としての任務を立派に遂行し、主席の戦略的・戦術的方針に従って軍事・政治活動を精力的に行って抗日武装隊伍を強化し、日帝侵略者を撃滅、掃討するのに貢献した。

 李乙雪氏は解放後、人民軍の重要な職責で活動して金日成主席を武力で決死擁護したし、人民軍の強化、発展のために献身的にたたかった。

 李乙雪氏は峻厳な祖国解放戦争の時期、朝鮮人民軍連隊長、軍事副師団長として金日成主席の卓越した軍事思想と戦略・戦術的方針に従って米帝の武力侵攻を粉砕し、戦争の勝利をおさめるのに大きく寄与し、主席の副官長として朝鮮革命を守るうえで特出した功績を立てた。氏は、戦後の時期から朝鮮人民軍の連合部隊、大連合部隊の指揮メンバーを経て護衛部隊と最高司令部の重要な職責を歴任し、全軍に最高司令官の唯一の軍指導体系を確立し、わが党の主体的な軍事路線を徹底的に貫徹し、チュチェ革命偉業、先軍革命偉業を無敵の軍事力で確固と保証するために献身的にたたかった。

 李乙雪氏は、1966年10月から党中央委員会委員候補、70年11月から党中央委員会委員、62年から最高人民会議代議員に選出され、80年10月から2010年9月まで党中央軍事委員会委員、1990年5月から2003年9月まで国防委員会委員として活動した。氏は、党と革命、祖国と人民に積み上げた特出した功労によって、3つの金日成勲章、金正日勲章と金日成主席のネーム入り腕時計表彰、共和国2重英雄称号、労働英雄称号をはじめ、高い級の党・国家表彰を授与された。

 李乙雪氏は、1995年10月に朝鮮人民軍元帥称号を授与された。

 李乙雪氏は2015年11月7日、長い病の末に死去した。

 李乙雪氏は、党と領袖に対する限りない衷情を抱いて生命の最後の瞬間まで護衛戦士として、有能な軍事活動家としてわが党の先軍革命指導に限りなく忠実であった。
 李乙雪氏は死去したが、党と革命偉業にささげた氏のたたかいの功績は末永く残るであろう。【朝鮮中央通信=朝鮮通信】


国家葬儀委員会構成
−2015年11月8日−

 朝鮮中央通信によると、朝鮮労働党中央委員会および中央軍事委員会、国防委員会、最高人民会議常任委員会は、故李乙雪氏の葬儀を国葬として執り行うと発表し、国家葬儀委員会を構成した。

 国家葬儀委員会委員長は敬愛する金正恩同志、委員は、金永南、黄炳瑞、朴奉珠、金己男、崔泰福、朴永植、李永吉、楊亨燮、姜錫柱、李勇武、呉克烈、金元弘、金養建、郭範基、呉秀容、金平海、崔富一、盧斗哲、趙然俊、任哲雄、金徳訓、金勇進、李務栄、李哲万、金永大、柳美英、黄順姫、金鉄万、金玉順、朴京淑、李英淑、李日煥、金春燮、キム・マンソン、崔相建、リ・ヨンレ、金正任、金重協、洪仁範、金京玉、崔輝、キム・チュンイル、李炳哲、田逸春、キム・ヨンス、鄭明鶴、金煕沢、全慶南、金永春、玄哲海、金正角、李河逸、ソ・ホンチャン、リム・グァンイル、努光鉄、チョ・ナムジン、リョム・チョルソン、趙慶普A尹東絃、金炯竜、尹正麟、金明国、呂春錫、李明秀、崔京星、李泰哲、鄭明都、姜東允、全昌復、金允心、金基善、朴在京、孫清男、チョン・テリョン、リ・ヨンジュ、チェ・ヨンホ、キム・ラクキョム、金英哲、呉琴鉄、キム・ジョングァン、金成徳、リ・チャンハン、薫永日、リ・ムングク、韓光相、リ・ギュマン、キム・テクク、リ・ドンチュン、チョン・ギョンハク、キム・サンガプ、キム・スハク、パン・グァンボク、アン・ジョン、ユン・ビョングオン、キム・ミョンギュン、チュ・ドンチョル、チェ・ジェボク、ウィ・ソンイル、パン・ドゥソプ、リ・ソングク、張正男、キム・ミョンナム、キム・ヨンボク、リ・ボンジュク、チェ・ドゥヨン、ハン・チャンスン、パク・スイル、キム・サンリヨン、キム・グムチョル、リ・ボンチュン、ソン・ソクウォン、カン・スンナム、ソン・ヨンゴン、リ・テソプ、金松哲、キム・グァンス、ホ・ソンイル、リ・チキョル、李永哲、キム・グァンヒョク、リ・グクジュン、チョン・ギョンテク、キム・ジュンシク、キム・ヨンイル、ホ・ヨンチュン、孫哲柱、パク・ヨンレ、キム・グクチャン、チュ・ドンチョル、リ・ヨンチョル、チャン・ドンウン、キム・ドウン、盧興世、リ・ジョンレ、ユン・ヒファン、シン・ギチョル、キム・ギョンリョン、ハン・ピョソプ、リ・ヨンナム、ハン・ミョンソン、リ・ホチョル、キム・ジョンチョル、チョ・ギボク、チュ・ソンナム、クォン・ヨンジン、コ・ウォンナム、チュ・ジェウク、チャン・ヨンギル、キム・ドンチョル、チン・グアンチョル、パク・イルス、太宗秀、金秀吉、朴泰成、李万建、朴英好、朴太徳、キム・ジェリョン、朴正男、全勝勲、李象元、姜陽貌、林景万、崔永林、洪善玉、チョ・チュンリョン、全勇男、朱英吉、李明吉、金正順の各氏で構成された。

 葬儀委員会は、故李乙雪氏の霊柩が平壌の中央労働者会館に安置されており、故人と永訣するために訪れる弔客は8日午後4時から10日午後7時まで受け付け、11日午前9時に出棺すると明らかにした。【朝鮮通信=東京】

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