板門店事件40年、挑発者に与えられるのは犬死にだけ
−2016年8月18日−

 朝鮮中央通信によると、朝鮮人民軍板門店代表部は18日、全文次のようなスポークスマン談話を発表した。

 無謀な挑発者の末路がどれほど凄惨なのかを世界に示した板門店事件が発生した時からいつしか40年になった。

 山河は見違えるほどに変わったが、人々は南朝鮮を永久に占領し、侵略戦争の口実を設けるために米帝が計画的に起こした板門店事件を忘れていないであろう。

 強盗の米帝がおこなうすべての敵対行為がそうであるように、板門店事件も窮地を脱しようとする陰険な策略ででっち上げられたものであった。

 1975年11月、国連総会では南朝鮮占領米帝侵略軍を撤退させることに関する決議が採択され、北と南、海外の全同胞がわが民族が経ているあらゆる不幸の禍根である米帝侵略軍を追い出すたたかいに果敢に立ち上がっていた。

 慌てた米帝は、朝鮮半島の軍事的緊張を激化させて新たな戦争の挑発に活路を求めようと板門店共同警備区域での「木を切る作戦」を考案した。

 板門店共同警備区域は、面積が0.64平方キロにも満たないが、敵味方双方が警備勤務をともに遂行していることで、内外の耳目が恒常的に集中している場所であった。

 米帝は、まさにこのような場所で挑発事件を起こせば容易に我々に挑発者のレッテルを張れるのはもちろん、情勢を最大に悪化させて米帝侵略軍の南朝鮮占領を合理化する口実を設けられると打算したのである。

 綿密な事前準備のもとに米帝は1976年8月18日、板門橋付近にあるポプラの木が「監視に支障を来す」というとんでもない口実を持ち出し、悪党の群れを駆り出してむやみに斧を振り回して木を切り始めた。

 挑発者には、共同警備区域内で提起されるすべての問題を相手側と無条件協議することになっている双方の合意は初めから眼中になかった。

 巡察勤務中であった我々の軍人が横暴非道なごろつき行為を阻止しようとすると、悪党らは、いきなり斧をはじめ、凶器をむやみに振り回してオオカミのように襲いかかった。

 挑発者の行動が単純な木を切ることではなかったことを看破した我々の軍人は、直ちに自衛的な対応措置を講じた。

 瞬時に現場で挑発行為を指揮し、狂奔していた米帝侵略軍の将校が、自分らが我々の軍人に投げた斧で逆に首を切られて即死し、悪質に襲いかかった他の将校も黄泉の客となったし、残った連中もまた重軽傷を負った。

 一変した形勢に焦った米帝が他の武装悪党を駆り出したが、正義の懲罰を免れなかったし、挑発者に与えられたのは凄絶な死だけであった。

 その後、米帝は、強盗の本性そのままに我々を「挑発者」と罵倒しようと「最高位級安全保障会議」の招集だの、いわゆる「報復措置」だのと南朝鮮占領米帝侵略軍とかいらい軍を北侵戦争態勢に進入させるなど必死にあがいたが、それは墓の上でおこなう往生際の悪い客気にすぎなかった。

 板門店事件は、歴史に深刻な教訓を残した。

 それは、侵略者、挑発者には、もっぱら恥と死だけが与えられるということである。

 しかし、歴史の教訓を忘却した者は毎年、この日が来れば事件現場にカラスの群れのように集まり、いわゆる「追悼式」や「記念参観」なる奇怪な茶番劇を演じている。

 正常な思考機能をもつ者なら、板門店事件とその後の40年間、空と陸、海でおこなってきた多くの挑発の代価が果たして何であったのかを冷徹に反省すべきであろう。

 軍事境界線上空を飛び回った米帝の武装偵察ヘリがわが領空に侵入して偵察行為をおこなおうとしたが、一発で撃墜されて侵犯者2人のうち1人は即死し、もう1人は捕虜になったのも、あえてわが領土に無謀に発砲した挑発者が無慈悲な報復の砲火の洗礼を浴びて犬死にしたのも、神聖なわが領海を侵した海賊の群れが水葬されたのも既に公にされた事実である。

 いつ、どこでおこなおうと侵略者、挑発者の運命は変わらない。

 しかし、オオカミは、死んで倒れるまでかみ付くものである。

 緊張した板門店区域で米帝がかいらい警備兵を駆り出し、ともすればわが軍人に向かって奇声を上げ、奇怪極まりないジェスチャーをしたり、照準射撃態勢をとらせ、重火器を搬入し、大型監視鉄塔を設置するなど、危険極まりない軍事的挑発に明け暮れていることがそれを物語っている。

 既に、歴史の裏道に追いやられて久しい停戦機関を盗用した拡声器の「通報」と「行事招請」劇などを頻繁におこなって騒ぎを起こすのもやはりそうである。

 これらすべては徹頭徹尾、板門店を民族分裂の悲劇的な象徴として固着させ、米帝侵略軍の南朝鮮永久占領を正当化しようとする米帝の凶悪な企図の直接の産物である。

 現在、我々一騎当千の将兵は、敵撃滅の銃剣をかたく握り締め、敵の軍事的蠢動を鋭く注視している。

 侵略者、挑発者は、はっきり認識すべきである。

 斧を持って襲いかかればその斧で打たれて死に、核のこん棒を振りかざせば米本土が核の惨禍のなかで灰になるということ、これが板門店事件とその後の40年の歴史が示した教訓である。

 時となく引き入れる重火器がむしろ挑発者の自滅を早めることになるであろうし、軍事的対決を鼓吹する目的で設置した大型監視鉄塔も一瞬でくず鉄になることをあらかじめ知っておく必要がある。

 侵略者、挑発者に与えられるものは、もっぱら凄惨な犬死にだけである。

 これは、避けられない宿命的な末路である。【朝鮮通信=東京】


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