米国は敵視政策撤回すべきだ
朝鮮国防委員会政策局談話 
−2016年5月25日−

 朝鮮中央通信によると、国防委員会政策局は25日、全文次のような談話を発表した。


 歴史的な朝鮮労働党第7回大会の高い演壇から響き渡った厳かな宣言が一波万波となってこの惑星を揺るがしている。

 世紀をまたいでわが人民に計り知れない不幸と苦痛を強いてきた米国は、核強国の戦列に立ったわが共和国の戦略的地位と大勢の流れを直視し、時代錯誤な対朝鮮敵視政策を撤回すべきである。

 秋霜のようなこの原則的立場は、年々歳々、血なまぐさい罪悪ばかりを積み重ねている強盗の米国の最後の滅亡を告げる正義の雷鳴であり、先軍朝鮮の最後の警告である。

 人類の平和を害し、あらゆる罪悪を働いた敵対勢力が、不意に襲ってくる激しい不安と恐怖に苦しみ、余命を永らえようとじたばたしている。

 しかし、米国は、依然として時代を錯誤した旧態と強弱不動(絶対的な強者)にとらわれた冷戦式思考に陥り、差し迫った自分らの悲惨な終末も意識できていない。

 ホワイトハウスをはじめとする米国の政界では、いかなる場合も「先に北の非核化、後に対北圧力の中止」を変えられないという怪談が世論を乱す一方、「米国政府の対朝鮮政策の変化は、全的に北朝鮮の変化次第である」という挑戦的な悪態も止めどなく飛び出している。

 ペンタゴン(米国防総省)の好戦狂は、笑止にも、予定されている大規模の「リムパック」訓練で史上初めて我々の弾道ミサイルの「脅威」に対応する米国・日本・南朝鮮連合実戦演習をおこなう悪巧みを公然と騒いでいる。

 陰険な米国は、一方では我々の原則的な要求を受け入れない場合に与えられる懲罰を恐れ、「国連軍」の看板を掲げた南朝鮮占領米帝侵略軍を板門店の軍事境界線上に駆り出して、断絶した朝米軍部電話を回復して接触の再開を懇請する拡声器「通報」劇のような二面的な行動も見せている。

 繰り広げられている現実を正確に見通せる初歩的な感覚も、正常な判断能力も麻痺したまま、もっぱら過去の陳腐で敵対的な政策にとらわれて歳月を無駄に過ごしている天下の愚か者がほかでもない米国である。

 国防委員会政策局は、強盗の米国が執拗に追求している対朝鮮敵視政策こそ、どれほど時代錯誤で虚妄な無知の産物であり、自滅的な政策なのかを改めて厳かに明らかにしようと思う。

 第1に、米国の対朝鮮敵視政策は、変化した現実と大勢の流れを無視して一方的な強盗の欲求ばかりをかかげている時代錯誤な妄想の産物である。

 歳月は、実に長く流れ、すべてが驚くほど変わった。

 わが共和国も、70余年前に米国が世界制覇の野望のもとに侵略の最初の標的にして対朝鮮外交政策を策定したあの時の未熟な新生朝鮮から、こんにちは地域と世界の情勢を意のままに平定する世界的な白頭山大国として、その威容をとどろかしている。

 20世紀の1950年代初めに米国は、小銃を相手に原爆を振り回して北侵を断行したが、こんにちは、この惑星の「絶対兵器」と称される強大な水爆まで保有した不可抗力の存在と相対している。

 いま、世界の世論が「米国は決して強いわけでも、世界で唯一の超大国でもない」との声を上げているのは、決して偶然ではない。

 悲劇は、米国がこの変わった現実だけでなく、大勢の流れにも背を向けていることである。

 自主と平等、正義と真理、平和と安全は、阻めない時代の流れである。

 このとうとうたる流れのなかで、自分らに従順な者は繁栄し、抵抗する者は滅亡すべきであるというヤンキー式覇権心理も、世界に君臨しようとした凶悪な野望も晩秋の落葉のように押し込まれ、古代ローマの末期を連想させる亡兆の血の色の斜陽に重く包まれている場所が米国である。

 どの国や勢力も歴史を超越したことはなかったし、大勢に逆らったことはなおさらなかった。

 自主、先軍、社会主義の不変の針路に沿って怒涛のように駆けるわが共和国のめざましい飛躍と荘厳な姿は、世界の自主化を力強く先導しており、その牽引力は時間がたつほどよりいっそう倍加するであろう。

 現実と大勢に敏感であれば賢明な選択をすることになり、背を向ければ歴史の路地裏に消えることになる。

 米国が、世界的な流れを無視して侵略と戦争の幻覚にとらわれているほど、無謀な対朝鮮孤立・圧殺策動にしがみつくほど苦い汚辱と凄絶な代価ばかりが与えられるであろう。

 第2に、米国の対朝鮮敵視政策は、相手にたいする初歩的な把握もなしに弱肉強食の論理に準じた無知と蒙昧の産物である。

 対外政策は例外なく、当該国の具体的な現実的状況を前提に樹立される。

 万一、客観性を欠き、主観的な意図ばかりを反映させるなら、そのような政策は必ず破綻を免れなくなっている。

 緊迫した極限の対立のなかで持続してきた朝米対決も、年代と世紀をまたいで、いつしか71の年輪を数えている。

 この長い日々、ホワイトハウスの主人も12回も代わった。

 しかし、敵視で一貫して最も極悪非道な手法に支えられた米国の対朝鮮政策だけは固定、不変であった。

 なぜなのか?

 答えはただ一つである。

 全朝鮮にたいする支配権を確立し、ひいてはユーラシア大陸を併呑しようとする米国の世界制覇野望が少しも変わらなかったからである。

 したがって、米国の対朝鮮政策の立案者は、月日が変わるように変貌するわが共和国の実体について注目しなかったし、また、その必要も感じなかった。

 それにより与えられた結果は、常に苦い惨敗と凄絶な屈辱であった。

 「開国以来初の敗戦」を喫したのも相手をよく知らずに襲いかかった代価であったし、史上初の「謝罪文」をひざまずいて提出することになったのも一方的な自己過信がまねいた当然の帰結であった。

 愚鈍な動物も一度痛い目に合った所には、足を向けるのを恐れ、遠回りしたり、避けたりするという。

 ひどい苦杯ばかりをなめながらも、対朝鮮敵視政策だけは、あれほど執拗で悪質に強行、推進している米国を果たして正常な国家であると誰が断言できようか。

 米国があらゆる卑劣で悪辣な手法を総動員して、孤立と窒息、圧力と封鎖にしがみつくほど、わが共和国はさらに強くなり、勇気百倍になった。

 世界は、米国が対朝鮮敵視に狂奔するほど朝鮮はさらに強くなる、米国が軍事的威嚇を加えるほど朝鮮の堅忍不抜と報復の対応力は想像を超えて強くなる、まさに、これが先軍朝鮮の対米対決哲学であると評している。

 米国は、いまからでも向き合った相手が誰なのかを直視すべきであり、苦痛であるままの現実を認め、愚かな対朝鮮政策を再び樹立するのが悪夢と悲運を逃れる賢明な上策になることを悟った方が良かろう。

 第3に、米国の対朝鮮敵視政策は、米国がみずから最も残酷な最終、最後の時刻を促す自滅の産物である。

 こんにち、米国はいつでも我々の先制的な核の報復攻撃の対象となり、この惑星から完全に消え去りかねない不安な悪夢の1分1秒を過ごしている。

 侵略で生まれ、戦争で肥えてきた米国の太くなった首には、いつでも命脈を断つ鋭い短刀が刺さっており、背には米国本土を丸ごと吹き飛ばす核の時限爆弾が仕掛けられて爆発の秒針の音を鳴らしているのが、否定できないこんにちの厳然たる現実である。

 米国が生存するのか、あるいは汚らわしい存在を終えるのかは、先軍朝鮮の意志と決心に左右されるようになっている。

 自分の地に矢一つ放ってもいないわが民族に国土両断と民族分裂の悲劇を強いて侵略戦争を強要したのも米国であり、核の威嚇と恐喝、戦争騒動でいっときも安らかに暮らせなくしたその罪悪により、無慈悲な報復をまねいたのも米国であることで、このような現実がもたらされたのである。

 永遠の恨みを残した不倶戴天の敵である米帝侵略者を掃滅せよとの全人民的な憎悪と復讐のスローガンが代を継いで激しく噴出し、悪の巣窟を丸ごと踏みつぶす報復の時刻を待ちわびて月日が流れるのが先軍朝鮮である。

 朝米対決の歴史に最後のページを記す歴史の時刻が到来している。

 我々は既に、報復の銃で米国の地でその最後のページを痛快に記す敵撃滅の意志を全世界に公表した。

 わが共和国にたいする敵視は結局、米国自身にたいするわが軍隊と人民の無慈悲な懲罰の敵視に急変するようにしたし、恒常的な核戦争騒動は米国本土を核の惨禍の危機に追い込む悲劇的な結末をまねくことになった。

 朝米対決の歴史は、その年輪に必勝は先軍朝鮮の伝統であり、必敗は強盗の米国の宿命であるという永遠に消せない法則を歴々と刻んできた。

 米国は、経てきた過去とこんにちの現実から対朝鮮敵視政策がまねく朝米関係の明日を見通すべきである。

 遅きに失した感はあるが、時代錯誤な対朝鮮敵視政策を一日も早く撤回することだけが、米国の絶望的な不運を避けられる機会をもたらすであろう。

 米国は、せん滅の砲火をフル装塡したわが軍隊と人民が最後の決戦の時刻だけを待ちわびていることを一瞬も忘れてはならない。【朝鮮通信=東京】


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