南当局に「対話の条件」語る資格ない
−2017年8月27日−

 朝鮮中央通信によると、27日付「労働新聞」に掲載された署名入りの論評「身の程知らずの笑止な『対話の条件』の繰り言」の全文は次のとおり。

 南朝鮮当局が口癖のように並べる「対話」の繰り言の下心が日を追って明白になっている。彼らが唱えているいわゆる「対話の条件」なるものを通じて、それがよくわかる。

 最近、南朝鮮の執権者は、さまざまな機会に「北の追加的な核・ミサイル挑発の中断」が「対話の条件」であり、それが実行される条件下で「特使を派遣することも十分に考慮」するであろうと声を張り上げた。

 これについて、かわるがわる手先らも「国際的圧力を通じた非核化」だの「対話再開は、北の態度の変化にかかっている」だのとして、いわゆる「前提条件」を騒いでいる。

 この中身をよく見ると、トランプ一味が最近、朝米対話の「3大条件」として示した「核実験の中断、弾道ミサイル試射の中止、挑発的言動の中断」や、朴槿恵逆徒がかかげた「先に非核化」の詭弁と本質上、異なるものが一つもない。

 言うなれば、先任者の親米屈従と隷属、同族対決のバトンを受け継いだ現南朝鮮当局の属性と胎生の限界をありのまま示すものである。

 ロウソクをかかげた民心によって出現したという現南朝鮮「政権」の実際の態度を見ると、新しい服を羽織ったというが、うさんくさい親米事大と同族対決の悪臭をそのまま放っている。

 我々に対話の提案を一つおこなうにしても、遠く米国まで訪れてホワイトハウスの承認を得なければならないのが南朝鮮かいらいの運命である。

 現執権者の境遇もこれと少しも変わったものがない。

 南朝鮮執権者が欧州のドイツを訪れて発表した「対北政策」なるものも、やはり「精神病棟」の烙印を押されたホワイトハウスの「事前同意」を得たものであるというから、何をか言わんやである。

 主人の承認を得れば何か大きなものでも得たかのように胸を張って「米国が呼応した」「米国の理解を得た」と騒ぎ立て、主人が少しでも不快な気分を示せば息を殺して機嫌ばかりうかがうのが南朝鮮かいらいの哀れな境遇である。

 それでも、いっときは米国に「ノー」という言葉を堂々と言えなければならないとして民心に支持票が欲しいとすり寄ったのが現南朝鮮執権者である。

 現実は、それが単に民心を欺瞞するための虚勢であったし、客気であったことを実証している。

 さらに笑止なのは、南朝鮮当局が「北の核問題解決の進展」を「対話の条件」にかかげたばかりか、「北の核問題解決のための特使派遣」説まで流していることである。

 核問題は、徹底して我々と米国との間の問題であり、米国の反朝鮮敵視政策と核の恐喝、威嚇が持続する限りいつまでも解決できないというのは全世界が知っている。

 既に明白に宣明したが、我々の核抑止力は、いわゆる対話や協議のテーブルに乗せて論議する取引の対象ではない。特に、我々が南朝鮮かいらいと核問題を論じることは少しもないであろう。

 米帝のけだものによって、この地で残酷な戦乱を経たわが人民にとって国家防衛のための強力な戦争抑止力は必須不可欠の戦略的選択であり、何によっても逆戻りさせられないし、何物にもかえがたい貴重な戦略資産である。

 親米事大に染まって米国を後ろ盾にして生きることを宿命のようにみなす南朝鮮当局は、いまからでも目を覚まして時代錯誤で硬直した思考を脱して目の前の現実を直視しなければならない。

 この惑星の絶対兵器をすべて握り、決心さえすれば侵略と戦争の本拠地と不正義の敵対勢力を一撃で灰にできるチュチェの核強国、世界的な軍事強国がわが共和国である。

 勇敢なわが戦略軍のグアム島包囲射撃方案の検討は、米国の生死を決定づけられるわが共和国の限りなく強大な総合的国力と世紀をまたいだ朝米対決戦を米本土で終結させようとする千万軍民の反米決死抗戦意志の明確な誇示である。

 悲惨な運命の分秒を争うつらい時間を送っている米国のホワイトハウスと軍部の頭目の間から絶えず上がる悲鳴に世界が驚嘆し、追従国家と大国を自任する国も身を伏せて事態を眺めているのがこんにちの現実である。

 悲劇は、世界のこのような状況を南朝鮮当局だけが全く見えも、感じてもいないことである。

 それで、南朝鮮当局は、自分らには対話を論じる何の名分も初歩的な資格もないこともわからずに差し出がましく核問題を持ち出して「対話の条件」だの何のと身の程知らずに騒ぎ回っているのである。誰も見向きもしない「対話の条件」を引き続き口にして頑張っていることこそ醜態にほかならない。

 自分の頭で思考できず、言いたいことも言えず、北南関係の改善と発展のために何からおこなうべきなのかもわからない相手とは、むしろ対座しない方がましである。

 北南関係に対する南朝鮮当局の根本的立場が正しくならない限り、北南対話はどうでもいい見せかけにすぎない。

 最近、周辺で朝米直接対話を求める声がさらに高まっている。言うなれば、かかしと対座するよりもかかしを操る実体の相手をする方がはるかに現実的であると判断したからであろう。

 南朝鮮当局は、いわゆる「運転席」だの何のと境遇にそぐわないたわ言を吐くよりは、むしろ自分の価値にふさわしい椅子に座って口をつぐんでいる方がはるかに賢明な振る舞いになるであろう。

 明白にするが、南朝鮮当局は、事大、売国と同族対決の泥沼でもがいていて、悲惨な破滅のどん底に放り込まれた朴槿恵逆徒の末路が決して他人事ではないということを銘記しなければならない。

 北南対話が開かれるかどうかは、全的に南朝鮮当局の態度次第である。【朝鮮通信=東京】


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