「制裁、圧力と対話の並行」論は詭弁
−2017年10月12日−

 12日の朝鮮中央通信によると、チョ・ナムス氏が「『制裁、圧力と対話の並行』の空言で世論を乱してはならない」と題する論評を発表し、次のように指摘した。

 全地球を丸ごと揺るがし、自主と正義の核が侵略と暴悪の核を粉砕する未曽有の世紀の決戦が繰り広げられている。

 いま、米国とそれに追従してきた有象無象がヒステリックな狂気を振りまき、あらゆる手段と方法を総動員して我々に対する「超強度制裁・圧力」騒動に必死にしがみついているのは、この運命の対決で確実視される自分らの敗北と悲惨な没落に対する恐怖と絶望から少しでも逃れようとする断末魔のあがきにすぎない。

 しかし、厳然たる現実と大勢の流れが見えずに、いまだに過去の迷夢にとらわれて愚鈍なことを叫ぶ愚か者がいる。

 それらのうちの一人が、「制裁、圧力と対話の並行」論を持ち出して、あたかもそれが刻一刻とさらに緊迫する現在の危機的局面を解消できる唯一の方途であるかのように騒ぎ立てている南朝鮮当局者である。

 彼らは、米国の指揮棒に従って自分らが熱心に加担している対朝鮮「超強度制裁・圧力」が、「北の核問題の平和的・外交的解決策」であり、「北を対話の場に引っ張り出すための手段」であり、したがって、「制裁、圧力は、対話と矛盾しない」という詭弁を並べたばかりか、しまいには「北が真摯な対話に何の関心も見せていない」というたわ言まで言っている。

 南朝鮮の現当局者が、いわゆる金言にでもなるかのように、ともすれば口にする「制裁、圧力と対話の並行」論は、言葉そのものの意味だけを見ても矛盾する現実的に全く前後がつながらない詭弁のなかの詭弁である。

 対話が互いに対座して話し合い、上程された問題を論議して解決するためのものなら、制裁と圧力は強制的な手段や力で自分の要求を一方的に押し付ける強盗のやり方である。

 対話の基礎が、尊重、信頼であるなら、制裁と圧力の基礎は、敵対、対決である。

 戦争も同然の最大の敵対行為である制裁、圧力の終着点は明白に二つである。

 制裁にもはや耐えられずに手を上げて身を引くか、もしくは、それを物理的な力で粉砕して突き進むかである。

 制裁、圧力に耐えられずに手を上げて身を引くのは、表向きには「対話」のベールをかぶっているが、実際には降伏、屈従であるとしか言えない。

 結局、南朝鮮当局者の言う「制裁、圧力」を通じた「対話」とは、強圧的な手段と方法を動員して我々を屈服させるという愚かな妄想以外の何物でもない。

 ここで、彼らは実に深刻な錯誤を犯している。

 屈服とは、強者が弱者に強要するものであって、決して弱者が強者に要請するものではないからである。

 では、客観的に見てこんにちの現局面で、誰が強者で、誰が弱者なのか。

 いつまでもなし遂げられず、むしろ、事態の解決に障害を来すだけの「制裁、圧力と対話の並行」論には、米国と異なることを言おうにも言えず、北南関係改善の道に自由に踏み出せない南朝鮮当局者の境遇がそのまま表れていると見るべきである。

 「制裁、圧力と対話の並行」論には、新しいものなど全くなく、本質上、ホワイトハウスの老いぼれの狂人がかかげた「最大限の圧力と関与」をそのまま真似た米国産の模造品にすぎない。既に失敗したオバマ政権の「戦略的忍耐」政策の延長、変種であると言えるトランプ政権の「最大限の圧力と関与」は、日々強大になるわが共和国の威力に仰天し、慌てて考案した窮余の策であり、あらゆる手段と方法を総動員して最短期間内に類例のない高強度の圧力を加える一方、対話、協議の美名のもとにあらゆる懐柔と欺瞞 、交渉と説得を通じて我々を武装解除しようとする最も暴悪で陰険な対朝鮮敵視政策である。

 歴代の米政権の連中がかかげた「硬軟戦略」「アメとムチ」と少しも変わらず、ヤンキー式傲慢と二面性の極みだけを示す「最大限の圧力と関与」政策に対して我々は既に死刑宣告をくだして久しい。

 それが正しいのか、誤っているのか初歩的な判別もできず、主人が考案したものであるといってむやみに真似て「制裁、圧力と対話の並行」という言葉をつくり出し、それが同胞と民族にどんな結果をもたらそうとお構いなしにあちこち持ち歩いて宣伝する南朝鮮当局者の振る舞いこそ見るに堪えない。

 そのうえ、南朝鮮当局が持ち出す「制裁、圧力と対話の並行」論は、古くさい過去に根差した「対話のある対決」論の焼き直しである。

 名目上は6.15および10.4宣言の精神の継承とその履行を騒いできた南朝鮮の現当局が、民族の「絶滅」を公然と言い散らすトランプのような精神病者の機嫌を取って保守逆賊一味と少しも変わらない対決政策を追求しているのだから、これこそ同じ穴のムジナと言わざるを得ない。

 一体、トランプがわが民族を「壊滅」させて我々の領土を「完全に破壊」するという天人共に怒れる野蛮な暴言を言い散らしたことに対して、憤慨するどころか「強力に対応してくれて感謝する」とへつらい、民族が受けることになる被害と災難には背を向けたまま外部勢力とともに戦争バクチの場に飛び込んでいる根本原因はどこにあるのか。

 結局、北南関係が日ごとにさらに悪化の一途をたどり、朝鮮半島情勢が極端な域に瀕したのは、米国とぐるになって我々の手から核の宝剣を奪おうと荒唐無稽に妄想し、対話と平和の道を遮る南朝鮮当局者の醜悪な反逆的妄動の産物である。

 諸般の事実は、南朝鮮当局者が騒ぐ「制裁、圧力と対話の並行」のラッパは自分らの対決的正体と親米・屈従的態度を覆い隠し、北侵戦争へと突っ走る危険極まりない行為を合理化するための世論欺瞞用であり、取るに足りないカムフラージュにすぎないことを如実に示している。

 外部勢力追従にうつつを抜かし、同族対決に思考が硬直した南朝鮮当局者は、いまからでも目をしっかりと開けて現在の事態を十分に見通してみる方が良かろう。

 こんにち繰り広げられている朝米対決は、核と核、血と血で互いの存亡を決する最後の決戦である。

 この峻厳な時刻に、話にもならない「制裁、圧力と対話の並行」論の類いを持ち出して米国の機嫌を取り、我々に何らかの秋波も送って活路を見いだせると思うなら、それほど愚かな誤算はない。

 制裁、圧力の終着点は、かいらい当局者が期待するいわゆる「対話」ではなく、もっぱら生死を決する戦いであり、言葉ではなく血ですべてを計算すべき最後の決戦の場になるだけであることを南朝鮮当局者は銘記しなければならない。

 米国が怖くて自分の手でつくり出した民族共同の合意までむやみに踏みにじり、外部勢力とともに最後まで同族を討つことに加担するなら、行くべき道は明白である。

 南朝鮮当局は、愚かで反逆的な対米追従で死のわなにはまりたくないなら、いまからでも米国に引きずられて荒唐無稽な「制裁、圧力と対話の並行」の類いのラッパを吹くのではなく、真のわが民族同士の立場で外部勢力の反朝鮮敵視政策に反対し、朝鮮半島の平和と統一のための自主的で義に徹した選択をすべきであろう。【朝鮮通信=東京】


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